「先生、トイレ行きたいです」
黒板にチョークが当たる音が響く教室で「先生、」と声をあげたとき、クラスメイトのすべての視線は黒板から私に移った。
少し間をおいて「いいよ」と言った先生の唇には「でも授業前に済ましておきなさい」の言葉が残っていたように思えた。やっと手を挙げられたのは、催してから30分後だった。
いやいや、先生だって急にお腹痛くなることだってあるでしょうが!私はその言葉を冷ややかな目線として先生に浴びせた。口に出すことはできないからだ。
私の高校は偏差値が中の上から上の下くらいを彷徨っているような“自称進学校”で、授業中は私語居眠り禁止のすこぶる厳しいところだった。
授業中のトイレ離席ですらけげんがる先生がいて、お腹が弱かった私はいつもトイレ離席の時間が大嫌いだった。その結果授業中にトイレに行きたいと言うのを我慢し、挙げ句の果てにはストレス性の便秘となって耐えられない腹痛で具合が悪くなり、保健室行きとなった。
『#厚生省は職場の女性用トイレをなくすな』のタグがTwitterで拡散されたとき、高校時代のこのエピソードを思い出した。
日本のトイレ問題は根深い。私は女性であるから女性の気持ちしかわからないけれど、小さいころから長いトイレ時間は恥ずかしいものだと思っていた人も少なくないだろう。
またいつのころからか、音姫がないトイレにためらうようなったし、男女共同トイレ自体に抵抗を感じたりする人もいるかもしれない。
今回は、『#厚生省は職場の女性用トイレをなくすな』というキーワードから日本のトイレ問題だけでなく、ジェンダーにおける価値観や女性の社会進出について紐解いていきたい。
女性のわがまま?共用トイレひとつで起きる問題
この『#厚生省は職場の女性用トイレをなくすな』という言葉はどうして拡散され、議論されるようになったのだろうか。
始まりは、厚生省が労働安全衛生法に基づく「事務所衛生基準規則」の見直しを図るため、2021年7月28日に厚生省労働政策審査会分科会が行われたことであった。
そもそも「事務所衛生基準規則」は1872年から変わっておらず、「男性用と女性用に区別する」ということと、壁で仕切られた便器の数は職場で同時に労働する人数によって定められるということしか明記されていなかった。
そのため、2018年の働き方改革関連法に関連して改革が始まったのだが、厚生省の有識者検討会で報告書がまとめられたのが2021年3月で、内容としては「同時に就業する労働者が常時10人以内」の場合は男女兼用トイレをひとつ置けば済むという特例を認めるというものだったのだ。
このまま了承されてしまうと、9月上旬に施行されてしまうことを受け、それを知った人々の声が集まり、議論や抗議のための『#厚生省は職場の女性用トイレをなくすな』という言葉が拡散されたのだった。
『#厚生省は職場の女性用トイレをなくすな』という文字面だけ見ると、女性が使うトイレがなくなってしまうのではないかという意味合いで取られてしまいそうだが、それは誤りであり、女性専用で使えるトイレがなくなってしまうことへの危惧なのである。
たびたび、このような女性ならではの悩みを受けた訴えに対して、一定数の「女性のわがままだ」「女尊男卑だ」という声が上がるのだが、その考えも受け止めつつ、まずはなぜ女性専用のトイレが必要だという声があがったのかをみてみよう。
なぜ女性専用のトイレが必要なの?
女性専用のトイレの必要性を訴える人のなかには、共用トイレしかないことで悩みや不快感を覚えたという声があがる。
たとえば、生理用ナプキンなどを捨てるサニタリーボックスに関してである。サニタリーボックスがない職場での汚物の処理に困ったという経験をしたり、サニタリーボックスを男性に漁られ身の危険を感じたり…という、女性の身体における物理的な問題。
私自身、友人のシェアアパートでトイレに入ったとき、サニタリーボックスがないことに戸惑ったことがある。
トイレットペーパーの芯を入れるゴミ箱は設置されているのに、サニタリーボックスはない。共用トイレはセクシャリティに関わらず使えるはずなのに、男性にはない特徴を持つ女性が我慢すればいいと言われているように感じた。
また、私が高校時代に苦しめられたトイレ問題のように、ひとつしかないトイレに女性が長くとどまることへの視線を気にして外のトイレを使うことを、“サボり”や“頻繁すぎる外出”として男性から注意されることもあるようだ。