「#厚生省は職場の女子トイレをなくすな」その真意とは
「多くの声が集まるのが女性の物理的な理由からの訴えだから、それは仕方のないことで女性のわがまま」だと言われるのであれば、私自身が感じた共用トイレでの物理的な部分以外の不快感を例に挙げてみよう。
私が働くリラクゼーションサロンは、ビルの小さな隠れ家サロンであるため、トイレがひとつしかない。でも、お客様は男性も多く訪れるため、共用ということになる。
そのトイレは受付に近い位置にあり、廊下も響きやすいため、なかの音が聞こえてしまう構造となっているのだが、女性客が入っているときとは違う音量の音がするのだ。
そう、男性客が立ち姿勢で用を足す音だ。男性のなかには立ってでしか用を足せない・足したくないという人もいるだろう。
男女共用トイレとなると腰掛け便器になるだろうが、立ったまま用を足すことで、想像以上に飛沫が散る。床だけでなく人が触れる可能性のある壁やドア、便座をおろさない人ならばもちろん便座にも。座らざるを得ない人たちにとって他人の飛沫の上に座る…つまり肌で触れなくてはいけないのだ。
悪い場合だと、便座を下ろさずにトイレを出る人もいる。これは個人のモラルも関係するとは思うが、ご来店される男性の半分以上は立ち姿勢で用を足している。
「これが身体の構造だから仕方ない」と反論されるのであれば、生理に関する問題は解消すべきだ。
ここで感じるのは、この議論をするにあたり、女性の身体の構造から起きる問題を「我慢する」や「仕方ない」という問題で片付けてはいけないし、女性だけの問題にしてはならないはずだということだ。
ではなぜ、日本では女性の声が多く集まるのであろうか。
LIXILビジネス情報によると、スウェーデンでは、共用トイレが基本となっているという。ある程度の広さを取れる施設であれば、共用トイレがいくつか並んでおりすべて個室であるらしい。このトイレの作りだけで、トイレに関することだけではない日本との違いが垣間見えてくる。
スウェーデンは同性婚が認められている国であり、書類などで性別を区別する際も、男女の項目以外に“その他”が選択できる。また、国会議員の男女の比率はほぼ半数なのだそうだ(参考:男女共同参画局)。
ほかにも違いはさまざまあるが、これを見るだけでトイレに関する問題の根本的な原因がわかるはずだ。日本に不足したジェンダー教育並びにセクシャリティの固定概念が蔓延していることである。
高校時代の私の体験も、「女の子なのに恥ずかしい」が一番の原因であった。この原因は幼少期からジェンダーロールに縛られていたことだった。
共用トイレに対する抵抗は、女性が自分を女性たらしめること自体が、トイレに対する恥ずかしさを覚えるのだ。
さまざまなジェンダーを受け入れたり、正しく綿密な性教育をしたりすれば、そして何よりジェンダーロールに縛られなければこのような問題は起きなかったのではないだろうか。
性教育を正しく受け理解することで、生理などの女性の身体の構造によって起きる問題に配慮することができるし、共用トイレにおける性犯罪もいまより少なくなるかもしれない。サロンでの立ち姿勢での用を足す仕草も共用トイレに慣れていれば、座り姿勢にするなど配慮ができる。
『#厚生省は職場の女性用トイレをなくすな』は職場でのトイレの問題なのではなく、この国の性に対するさまざまな問題から生じたものなのかもしれない。
この問題を「女性のわがまま」「たかがトイレの話」と片付けるのではなく、性に対する価値観や教育制度を見直し改革するひとつのきっかけとして捉えるべきではないだろうか。
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