「女性の生き難さ」にフォーカスするとともに、「男性の生き難さ」にも注目されるようになってきた昨今。
「男女の生き難さとは別のもの」と受け取られてしまいがちな「セクシュアルマイノリティ当事者の生き難さ」のなかにも、「男性の生き難さ」「女性の生き難さ」が関係している場合が珍しくありません。
今回は、そんな「男女の生き難さとセクシュアルマイノリティ当事者の生き難さの関係性」について考えます。
「性別らしさ」
ダイバーシティや多様性を重んじる昨今、「女性らしさ」や「男性らしさ」といった「女男かくあるべき」といった考え方を押し付けるのはよくないという考え方がかなり一般的になってきました。
実はセクシュアルマイノリティではないかたが「生き難い」と感じているものは、セクシュアルマイノリティ当事者にとっても、「生き難い」と感じることが多いんです。
まだまだセクシュアルマイノリティ当事者への理解が進まない現代の日本では、世の中の問題を男・女・それ以外(セクシュアルマイノリティ)で分けて考えてしまう側面があるように感じます。
しかし実際は、男女の性別由来の生き難さはセクシュアルマイノリティにも関係していることがあります。筆者を例に考えてみましょう。
筆者は、
- 生まれ持った身体の性:女性
- 性自認:Xジェンダー(男女どちらにも定めない)
- 現在のパートナー:女性
です。1~3にもとづく困りごとや生き難さは、下記のように分類することができます。
- 社会における女性の立場の低さへの不満や性被害への恐怖
- 「女性らしさ」も「男性らしさ」も押し付けないでほしい
- 身体の性が同性であるパートナーと結婚ができないこと
1は女性の身体で暮らしていることでの困りごとや不安・懸念、3はセクシュアルマイノリティ当事者としての生き難さ。2はセクシュアルマイノリティであるなしに関わらず感じることのある生き難さです。
「女性らしさも押し付けられたくない。かといって男性らしさも押し付けないでほしい」とセクシュアルマイノリティ当事者として思っていると同時に、身体はいまも女性なので男性の力には敵わない自覚があり、性被害への恐怖は避けられません。
このように、筆者はセクシュアルマイノリティ当事者の生き難さと女性の生き難さの両方を感じています。
筆者ひとりの例だけを考えても、生き難い要素はとても複合的です。
男性は懸命に働き昇進すべきで、結婚して家庭を持って一人前。女性は仕事はそこそこに結婚出産し、家庭第一に。
そんな男性らしい体育会系の力強さも、女性らしいフェミニンな服装もそれ単体を一個人が望んで選んでいるのならば生き方やスタイルのひとつとして選択することは、けして悪いことではありません。
しかし、誰もがその生き方を選びたいわけではありませんよね。
生まれ持った身体の性別と性自認が一致していても、「男女かくあるべき」は他者や社会から押し付けられると窮屈で生き難いものにまってしまいます。
生まれ持った性別と性自認が一致していない場合、その押し付けはときとしてその人の命を奪うきっかけのひとつになりかねません。
男性らしくなくてもいいし、らしくてもいい。女性らしくてもいいし、らしくなくてもいい。優劣はないのだから、押し付ける必要は本来ないのです。
「男性らしさ」「女性らしさ」やこれまでそれぞれの役割とされてきたものを押し付けることをやめれば、セクシュアルマイノリティである人の生き難さの一部も和らぎ、そうでない人でも生き難さを軽減することができるのではないでしょうか。
こんな経験もあります。
以前勤めていた会社でダイバーシティ推進の一環として、「女性活躍」を社外へアピールするため、社内で何人かの女性社員がピックアップし、社員の活躍ぶりを写真付きでホームページで紹介する取り組みを行いました。
実際は同時に男性社員も複数人紹介していましたが、女性の掲載に関しては「女性活躍」のアピールと社内で銘打ていたのです。
その社員のひとりに筆者も入れられることになったのですが、掲載されたくはありませんでした。
本当はXジェンダーである僕を女性の枠組みに入れることは、僕にとってはミスジェンダリング(自認しているジェンダーと異なる取り扱いをすること)です。
たとえ仕事ぶりを評価された結果だとしても、喜べるようなものではありません。
せめて断ることができる状況ならよかったのですが、社長直々の申し出だったことから拒否することができず、ホームページで顔を出していたことがありました。
そもそもで「パワハラでは?」という点は一旦おいておいて、この出来事にはセクシュアルマイノリティとカムアウトをできる社内ではなかったという背景もあります。
そう考えると、セクシュアルマイノリティとしての生き難さとしての一面を強く感じますが、一方でいままで昇進やキャリアアップのための経験を女性に与えてこなかった昭和的な企業で急に起こったムーブメントとしての一面を考えると、女性としての生き難さも見え隠れしないでしょうか。
実際、「女性だから受けなくてもいいよ」と業務上受けた方がいい研修を受けられなかったり、男性社員の出張土産をわざわざ女性社員に配らせるといったことが在籍期間中日常的にあった企業です。
力を入れてアピールしないといけなかった理由も、これまでの女性社員に対する扱いが影響していると感じました。
そしてこれまで女性に与えられなかった分は、昇進を望まない男性にも無理強いされていたとしたら…。
日々のマイクロアグレッションも含め、「男性は仕事第一に出世をする」という男性の生き難さも内包していると考えられます。