皆さん、おはようございます!タカです。
少し前のこと、ちょっと悲しい出来事が僕を襲いました。子どものころからの友人の話です。
もうずっと会ってなかったのですが、何十年か振りに会う機会があってね。僕も久しぶりに会えることを楽しみにしてたんですよ。
「どんな話をしようかな?」「今はどんな暮らしをしているのかな?」
思い出話に花を咲かせて、楽しい夜になることを期待していました。
約束の店で僕が待っていると、彼は現れました。だけど僕は、その姿を見て愕然としてしまった。
昔の面影もないほど醜く太り、片足をズルズル重そうに引きずりがら、不自然に体を左右に揺らしながら……彼はやってきた。
聞けば病気を患って、体の自由が効かなくなっているといいます。
僕はその姿にショックを受けながらも、平静を装いつつ、席に着いて会話を始めました。楽しい思い出や、今の家族のこと、仕事のことなどを楽しく話すつもりでいたんだけれど。
彼の口から出るのは、今の環境への愚痴や他人の不幸話ばかりだった。「誰それの子どもが自殺未遂したんだって、へ、いい気味だな」とか。「あいつも離婚したんだよ、ざまあみろってんだ」とか。
そこで僕、ようやく気付いたんです。というか、本当はわかっていたけど、見てみないふりをしていたことに気が付いた。
嫉妬や妬みは自分の心や体を蝕んでいく

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「そういえばこいつ、子どものころからそうだったわ。人の幸せを喜べないヤツだった」って。
自分が好きなことができないのは親のせいだと、昔から言っていた。親が貧乏だから、社会が悪いから、と。
お金がないと言い訳をしては、金持ちはいいなあといつも妬んでた。
その割には、自分でできる努力をするほどの情熱はなくて。一生懸命頑張っている人をバカにしては、後ろの方で冷めた目で見ていたっけ……。
僕が良いものを手に入れると、他の友達は「すげえすげえ、見せてよ」と寄ってきたのに。
「へ。金があるヤツはいいよなあ、坊ちゃん」と、吐き捨てられた言葉が忘れられずに、それから彼の前での言動には気を遣うようになったっけ……。
「じゃあなんで付き合ってたの?」と、僕は自分に問いかけてみたんです。するとちゃんと答えが出た。
それは、複数いる友達のグループでの付き合いだったから、でした。
みんなでワイワイする輪の中にいただけで、実際は個人的な付き合いはほとんどなかったことに気が付いたのです。そう、別に大事な友達ではなかったんです。
ちなみに最近になって、そのころの共通の友人にそれとなく聞いてみたら、口にしなかっただけでみんな彼には気を遣っていたことがわかりました。
「あいつの前ではめっちゃ気を使ったよ。だって、すぐに羨んでくるじゃん。好きじゃなかったよ、正直」
「世の中を憎んでるからね、あいつは。自分よりも不幸な人間を探して、オレの方がまだマシって思ってるよ、いつも」
それ聞いて、「あー、オレだけじゃなかったんだ」と、今さらですが痛感しましたよ。
それでもね、大人になれば仕事をして、家族を持ち、社会で揉まれながらそれなりに成長していると思っていた。うん、思っていたんです。今だったら、楽しく酒を飲み、話が弾むと僕は信じていた。
だけどねえ、悲しいことに人間の本質はそう簡単に変わらなかった……。で、思いましたよね。
嫉妬や妬みは自分の心や体を蝕んでいく、って。
彼との2時間は、その事実を目の当たりにした時間でした。彼は何も変わっていなかった。世を羨んでた。人を羨んでた。
何より、僕のことを「友達」と思って来たわけじゃなかったんだと、気が付きました。