共に生きる皆さんへ。こんにちは、野澤卓央です。
知人から「自分と違う意見を言われると、相手に批判されたと思ってしまう。相手の反応を見て、聞いてくれそうなら話せるけど、そうでなければ自分の言葉で話せなくなる。どんな時も、自分の言葉で話せる器の人になりたい」という相談を受けました。
「私は認められていない」という固定観念により、人に認められないと感じた瞬間に、心は閉じます。
人に認められるために鎧をまとい、強い人、立派な人になろうとしたり、強がったり、頑張りすぎたり、相手に期待することをやめて、助けを求めなくなります。
その結果、自分に正直になれず、本心にも気づけなくなってしまいます。
なぜ、意見の違いを「自分への否定」と感じてしまうのか?
自己否定から生まれる間違った固定観念

image by:Unsplash
話を聴いていくと、その方の中には「自分は認められていない」という想いがありました。
意見の違いを否定と受け取る背景には、「何かができたら認められる。できなければ認められない」という“条件付きの愛”がありました。
すると、ちゃんとした自分を演じる、人の目を気にする、人や世間から認められることで自分の価値を保とうとします。
そしてその土台には、「ありのままの自分は認められなかった」という幼いころの深い絶望や寂しさが身体感覚として残っていました。
このような場合、「人の目を気にしないようにしよう」「本心から生きよう」と頭で決めても、なかなか抜け出せません。
根本的に向き合うには、
- 深く残っている悲しみや絶望に寄り添い、癒すこと
- 「何かがあるから認められる」という思い込みに気づくこと
これらが必要です。
そもそも人の価値は、他者や社会に決められるものではありません。人が命を作れない以上、私たちが存在していること自体が、人間を超えた存在によってすでに「認められている」証です。
「自分はこの世界に認められて生まれ、存在している」
その感覚を体で思い出すことが、古い固定観念を手放す道になります。
今回のケースで言えば、根底の絶望や悲しみ、歪んだ固定観念を癒し手放すまでは、同じ出来事が人や場所を変えて繰り返されます。
かつて僕は、望まない出来事や出逢いがあるから嫌な思いをすると思っていましたが、本当は、自分の奥底にある痛みや固定観念が、出来事や出逢いを引き寄せていました。
物事の根本原因に気づくことで、同じ悩みや苦しみを繰り返さなくなっていきます。この世界の法則や仕組みに気づくことが増えていきました。
そもそも自分はこの世界に認められて生まれ、存在している。そのことを有難く自覚して毎日を喜びから生きていきたいな。
今日も生きとし生けるものが平和で幸せでありますように。
【今日のコツ】
根本原因に気づくことで、人は悩み苦しみを終えられる。
- image by:Unsplash
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。