日米の「結婚」に対する温度差
アメリカに住んで30年ほどになるので、知人や友人の結婚式などに参加したことは何度もあります。しかし、ウエディングプランナーを雇っていた新郎新婦はいませんでした。
ウエディングプランナーたる職業はアメリカにも存在しますが、多くは日本人が海外で挙式を挙げるときのコーディネーターが多く、需要に関しては日本の方がはるかに高い。
一般的には新郎新婦がメインとなって企画も段取りも行なわれるし、結婚式を挙げるためだけの建造物はなく、教会やバンケットルームをレンタルしてパーティーがある程度。
ラスベガスなんて「ドライブスルー」で結婚できてしまいます。そんなアメリカと日本、「結婚」に対する温度差は明らかですよね。
もちろん、「孤独が嫌」だとか、「将来ひとりで歳をとることが怖い」など老後への不安解消のために結婚している人ばかりではないでしょう。
しかしここまで強く「結婚」を望むのは、日本独自の文化だと思います。実際に、アメリカには「婚活」という言葉はありません。結婚を目的に活動を起こすという行為自体なく、自然の流れのうえでの結婚に至るのです。
「死生観」も異なる
そして、「死」への文化も日本とアメリカは明らかに違います。アメリカでのお葬式は「故人を偲ぶ」というよりは、残された家族のためのような気がします。
孤独死であろうが、病院内での死であろうが、日本のように「畳の上で死ぬ幸せ」といった概念はなく、「死」は「死」なのです。
家族に看取られる死を望むアメリカ人ももちろんいるが、「故人を憐れむ」というより、死者の新たなる旅立ちを祝う雰囲気を感じるのは私だけではないと思います。
以前イタリア人の友人の家族が亡くなり、葬式に参列しましたが、号泣している親族はおらず、涙を流しながら微笑んでいる参列者がとても多かったことを覚えています。このように、国が違えば死生観も違うのです。