やさしさゆえ、人に干渉しすぎる
恋人を持ちたくない若者が増えていることも、「漫画」の世界の異性にしか興味を持てない若者も、世間がいう「変な人」ではない。
夫婦別姓を求めても、子どもを作らない夫婦がいても、全然いいことなのに、多くの人は自分の主観や概念を押しつけてしまいがちなのが日本だと思います。
海外から日本を見られる立場にいる私のような海外在住者は、たくさんいます。同じ立場にいる知人や友人と日本のことを話した際、全員が共感した言葉がありました。
アメリカは「いい意味で、人に無関心。干渉しない」、一方日本は「悪い意味で人に関心を持ちすぎで、干渉しすぎる」という言葉です。
アメリカは、あまり人に関心を持たないし、興味を示さない。おせっかいは焼かないのが通常。でも日本は、やさしさゆえに「人に干渉する」のです。
日本のテレビを見ていると、「こうした方がいいよ!」とか「こうじゃなきゃダメよ!」などコメンテーターたる者たち(少なくとも、影響力のある著名人たち)が、他人の夫婦関係(不倫)に意見をいうなど個人の正義感をあらわにしている。
そして、世間の多数派の声に焦点があてられ、それが正解であるかのような概念を作り出しているように感じます。右を向く人、左を向く人、人数の多い方が正しいかのような錯覚に陥ってしまうのも、日本人の「やさしさ」が利用されているのではないでしょうか。
孤独は哀れなのか?
孤独とは、誰にも邪魔されず、至福の時間を過ごすことのできる歓喜、喜悦です。従属的であれば、怪我をしたり傷つくこともない。多数派に属すことは平和的であるが、流されない強さを忘れてはいけません。
人と違う意見や考え方を持つということは、孤独なこと。共感や高評価、賛同ばかりを望む人間が多いなかで発揮できる「強さ」とは、孤独を楽しむことができる人間に与えられるものだと、私は思っています。
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