変えるべきは「不登校は問題」という思い込み
問題が出てきたとき、そっちを変えるんじゃなく、それを問題だと思わなくなる「考え」を見つけること。
要は、自分の考えの方を変えちゃえばいい。そこに気づいたら、目の前の暗雲は消えた。変えるべきは、自分の思い込みの方だったから。
息子が不登校になった!辛い!大変だ!どうしよう!問題だ!って、そう思う自分の「考え」を変えることが、不登校を問題にしなくなる。不登校を問題だと騒がなくなる。問題が消える。
その考えを採用するころ、私のなかで、不登校は特別問題ではなくなった。そして息子はときどき、行事に参加したりしながら、中学を普通に卒業した。
そもそも、この世界の決めごとは全部人間が勝手に決めただけで、学校に行くべきってのも、そうだ。よかれと思って決めたことに過ぎない。きちんと学校に通って、有名な大学を卒業したからって、その後ずっと幸せとは限らないもんね?
そこは、よくよく考えたら誰にでもわかることだったんだ。
人生終わり?そのアングルを変えてみよう
生きるルートは何でもいい。
「こうでなきゃいけない」って自分が決めた瞬間から、そうじゃなきゃいけないステージが現れるだけ。全部、自分の意識が先に作用してる。
不登校になったら人生終わり…って思ったまんまだと、実際そうなる。不登校になったら人生終わり…って「思い込んでる」自分に気づいたら、そっからは反撃開始が出来るってわけ。
意識の角度を変えるだけで、お先真っ暗だと思ってたステージに、抜け道があったことに気づく。カメラのアングルを変えるように、変えたら変えたように、見え方は変わる。
「これで人生おしまい」なんてことは、ないわけです。
その、いまのアングルからだと「人生終わり」にしか見えない。だったら、アングル変えようよ!って話だった。アングルなんて、意識なんて、見方なんて、いくらでも変えたらいい。一生のうち2回までね?とか、そんなルールはないんだから。