結局は自己顕示欲の現れ
結局は、個人の「宣言」も、「賞賛」や「賛同」をほしいがための「時代の流れに乗る」という行為であって、ある意味、自己顕示欲(自己アピール)の現れであると私は思っているのですが…。
著名人に関わらず、人間は自己顕示欲を持った生き物であるし、承認されたり、世間に認められたいという欲は誰もが持っています。
「いやいや、私なんて…」と謙虚に自分を謙遜し、自分に自信がないかのような立ち振る舞いも、実は同類・特に同性から見ると、「実にあざとく、計算高いアピールである!」と手厳しい評価を受けるのも現実です。
勝手に感動したい受け手の「感動ポルノ」
日本もアメリカも、「世間への受け」や「世のなかの流れ」を意識的に考えて、自己肯定する人の方が多いように思います。
他人に対してもそれはあって、たとえばアメリカでは、顔にひどい傷がある人が、動画やSNSで「お化粧」をする姿を投稿すると、「いいね!」の数がものすごくつきます。そしてアメリカ人の多くは、「あなたは美しい」と承認するのです。
たしかに、ありのままの姿をネガティブに考えず、ポジティブに発信する「生きる力」は素晴らしい。しかしここにも少なくとも「感動ポルノ」は存在し、所詮「他人事」、つまり自分は「評価する立場」にいるというはっきりとした位置づけがあるからこそ、できる業なのです。これに気づいている人はいるのでしょうか。
私はひねくれているので、当事者の苦労や悲しみをあたかも自分が理解したかのように、「苦しいでしょう、つらいでしょう」とドラマチックにとらえ、勝手に感動する…この手の話も、実は「自分」の自己顕示欲の現れだと思ってしまいます。
まさに、「感動している自分に酔う」、そのように見えて仕方ないのです。とはいえ、頭では理解していても、自分の投稿に「いいね」がつくと、ニヤリとしてしまうのですが…。