「比較」してしまうからこそ生まれる自己顕示欲
文化的な生活を送っている人間すべては、「見栄」や「見映え」という「他人と比べる」概念をもっています。
人が身に着ける物、人の持ち物、その人の生活水準、その人の立ち振る舞いや物事の考え方、他人や周りと違うということで、自分が人より長けていると思えば優越感を持ち、それは自信へと繋がる。
自分が人より劣っていると、自己否定してしまう人もいます。それらは、人間に「比較する」という能力があるがために感じる「概念」に過ぎません。
「羨ましい」とか、「妬ましい」という感情も、「比較」ができるからこそ生まれるものです。女性も男性も、自己肯定し、他人に賛同されたいと思う…。
承認されるために「物質的なもの」でアピールしたり、アリシア・キーズのような「あえて時代の逆をいく」宣言をしたり、他人とは違う思想をアピールするのではないでしょうか。
自己顕示欲に支配される人
男性も女性も「社会的地位」に対する執着が高い人・理想が高い人は多くいます。1980年代末のバブル景気全盛期には、女性の主流層が結婚相手の条件、「3高」を求めました。夫にするなら、「高収入・高学歴・高身長」。この頭文字で、「3高」。
現実的・堅実的な理想が根づいたいまでも、やはりできることなら、男性の社会的地位にあやかりたいというのが女性の本音。歳の差など関係なく、ハイスペックな理想の男性の嫁になることを目指す女性は、いまでも多くいます。
「トロフィーワイフ」という言葉をご存じでしょうか。男性が自慢したくなるような妻のことです。動物の世界でも、「自分を大きく見せる」ということは、圧倒的に生死に関わる重大なことですが、人間は身につける物や生活水準、人間関係、生活環境、社会的地位、収入など物質的なものを使い、自分を大きく見せることができます。
物にこだわり、小道具を使って自分を大きく見せたがる人は、やがて自己顕示欲に支配されてしまいます。高級車、豪邸など手に入れた人は、自慢せずにはいられません。
身のまわりにある物すべてに、「高級」で「人が羨む」ものを求めるようになることが多いでしょう。1度生活水準が上がってしまうと、なかなか下げることができなくなるからです。
まさに、すべては「自分のため」。アピールという自己表現の世界に生きる著名人も、一般人も、知らず知らずのうちに見栄をはり、自分を偽って、あるいは「ナチュラル主義」と「正直さ」を売りに、結局「自己顕示欲」という見えない意識(欲)に振り回されている。
そのことに気づいているか、気づかないでいるか…ここがとても重要で、「自分の自己顕示欲の強さ」を認めたうえで、自己肯定すべきだと感じるのです。
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