自分探しをしたアラサーが見つけた答え
私がそう思うきっかけになったのは、自分を見つめる状況がたまたまあったから。私も、いわゆる結婚適齢期といわれる30歳前後くらいのころは「結婚したいかも」と思っていた時があった。
仕事やら恋愛相手とのいろいろで、タイミングを逸したともいえるのかもしれない。そして、30代中盤を手前にしたころ、大好きだった人との「結婚」をどうしても考えられなかったとき、「なぜ?」と自問自答する時間を持った。自分はこのあと一体、どう生きていきたいのかと。
そのとき、私は明確に「まだいろんな人と出会いたい」と思ったのだ。世間一般とか、家族とか、そういうものが気にならなかったといえば嘘になる。でもそれらより、私は私の思う人生を歩んでいきたい、そのときに感じることを大事にして生きていきたい、という気持ちを優先した。
それからというもの、まわりからいわれる「結婚は?」の問いに、「する気ない!」と胸を張って、それを自分の本音としてやっと答えられるようになった気がする。
それまでは、「わかんない」が脳内をめぐり、人からの問いにもヘラヘラしながら「ご縁があれば〜」とか当たり障りないことをいってのけていた。でも、「しない!」と口にするようになってから、もやのかかったような迷走から抜け出し、すごく晴れやかで清々しい気持ちになった。
自分の希望、要望、価値観…わかってる?
自分と向き合うという行為は、はっきりいって苦しくて辛い時間にもなる。
なんとなくわかっていたけど、やっぱり自分にはこういうとこあるよな…など、考えるのを避けて逃げてきたような部分にも対峙しないといけない。見たくない自分の心の汚い部分に深く入り込む必要もあると思う。それによって、自分に自信を持てなくなったりすることもあるだろう。
でも何も考えずに忙しく流されて生きていては、「自分とは」なんて、考える時間は持てないのでは?とも思う。その流されたままの自分で、人と関わりたいのならそれで全然いいけれど…。
しかし、プライベートでも仕事でも、人生で「パートナーを持つ」ということは、自分ひとりでなく、「相手とどんな関係を築いていくかを考え続けていく行為」なのではないだろうか?
そうなると、相手を見る前にまず自分の希望、要望、その理由、思考の癖、価値観…etcそういったことを、明確に提示できるようになっていないと、どんな相手が出てきても、「どうしたいのかよくわかんない…」「なんかモヤモヤする」ということになりかねないと思う。
一番最悪なのは、なぜだか納得できない結果になったときに、「あの人があんな人だったから」といって相手のせいにしてしまうこと。人とのコミュニケーションにおいて、「相手のせいだけなのか?」は一生つきまとう。そして自分を向き合うことなく相手と対峙して後悔するのは、結局自分だと筆者は思う。
もちろん、恋愛は稲妻が落ちたが如く、一目惚れからの相思相愛で始まる…みたいなことが絶対ないとは限らないが、そんなふたりだったとて、時間が少し経てば、細かいコミュニケーションを続けていく現実を目の当たりにするはずだ。