恋愛も結婚も「自分主体」でいい理由
つまりは「相手を知る前に、人と関係を築く前に、自分自身の本音を理解してあげていないと、いろいろ人にいわれることでまた迷うんじゃない?」ってことだ。
基本的な軸がぶれない人というのは、何をするにもはっきりしていてわかりやすい。だからまわりもその人を理解して、関係を構築しやすいものだ。
けれど、「彼氏はほしいけど〜結婚をすぐ考えられるかは付き合わなきゃわかんない〜」とか「結婚はしてみないとわかんないから離婚してもいいからとりあえずしてみたい!」とか「私自身は結婚どころか恋愛も面倒なのに親がうるさいから…」とかいう人には、その人の人生に対する強い思いや考えが見えないので、はっきりいってまわりも何ともし難い。
であれば、正直に「子どもがほしい!だからお父さんになってくれる人を探す!」とか、「ブサイクでもいい、お金持ちと結婚してこんな暮らしがしたい!」とか、「親はしろっていうけど実は結婚したくない!私、まだひとりに決められない!」とか、「子どもいらないし、彼と籍入れなくていい!」とか、「いまの彼、結婚する気ないらしい。でも好きだからいい!」とか、「ヲタ活だけに専念したいからリアルな男いらない」とか。
現代ではまだ少数派とされてしまうことでも、したいかしたくないかの理由を明確にいえる人の方が、自分を理解できている気がする。だからこそ、今後また考えや価値観が変わったとしても、迷いはないのではないか。
恋愛も結婚も相手あってのものだけれど、相手主体ではなく、まずは自分を見てほしい。だって自分の人生だもの。
さみしいから出会いを求める、ってことは全然アリだと思う。出会いのきっかけは何だっていいわけだから。大切なのはそれから。出会ったあとに相手とどんな関係を築きたいのかは、相手に期待したり任せたりするものではなく一緒に紡いでいくもの。
それには、自分の確固たる意見や考えも必要。フラれないようにとか、嫌われたくないからとかで出さないのではなく、お互いでそれを出し合って擦り合わせていくことがパートナーとのコミュニケーションで一番必要になっていくこと。その後の結果がどうであれ。
世間とか世代とか社会とか他人の目とか家族とか友達とか、「ちゃんと聞いたり見たり」は大事だけど、大切なのは決して「流されない」こと。
バチェロレッテに学ぶ、婚活迷走者に必要なこと
ネタバレになるので多くはいえないが、個人的には主人公バチェロレッテがその結論を出したことは共感する。「だってそうなんだもん」しか、自分の気持ちに正直な答えはないと思うから。
彼女のいう「真実の愛」がどんなものだったかはわからずじまいだが、もしかしたらそれこそ、彼女自身が「それって何?自分側でまだ考えたり見つけたりする部分があるんじゃないの?」って旅の途中で気づいてしまったような気がする(私にはそう見えた)。
自分の期待に応えられる相手を求めて探すことだけじゃなく、そもそも自分は何でそれを探してるんだっけ?と明確な答えを出せないでいるうちは、まだ迷走中といえるのでは?
「真実の愛」という字面はとっても素敵だけど、反面、相手がいないのでは何とも抽象的ではないか…と筆者は思っている。
ハイスペックな彼女だからこそ、相手に求めるものも高くなりすぎてしまっているかもしれないとも感じた。求めた相手が自分のレベルに達しているのか、という見方をしてしまっているかもしれないということも。
逆も然りで、自分は相手の求めるところまでいっていないかもしれない、と思っている節もあった。ただ、スペックや自分への愛情度で判断することが、「真実の愛」なのかどうかは謎である。
それこそ、「結婚」と「真実の愛探し」をどう紐づけるのか?と、婚活に迷走していると感じる人は自問自答し続けることがよいのではないだろうか。