ここまで違うか、海外の就活方法
まず私はどうしても現地の会社で外国人と働きたい思いが強かったので、履歴書を50枚くらい配りました。日本と違い、転職が頻繁な文化なため、計画的に毎年人員を増やしていくというよりかは、空きが出たら人を雇うのがオーストラリア。
こちらがポジションの空きを察知することは到底無理なので、求人募集を出していない企業にも積極的に履歴書を送りつけてアピールしなければならないのです。
しかも海外では学歴ではなくこれまでの経歴が採用の決め手。あ〜日本での就活ってすごく楽だったのだな。大学名が通っていれば技量がなくても割と採用されてしまうし、海外での職探しって大変です。
オーストラリアでは日本人イコール英語が話せない人種と区分されていることが多く、それをカモフラージュするためにわざわざ自分でイングリッシュネームをつけて、履歴書を編集したりもしてみました。
仕事探しを始めてから2カ月。やっとの想いでセールスアシスタントと地元新聞社の編集として職をゲットしたものの、仕事がなかなか決まらないストレスと、減り続けていく預金残高とのにらめっこに精神がすり減りました。異国の地での就職活動はやはり一筋縄ではいかないのですね。
私をイイヤツにしたユニークな面々
海外経験を通して自分自身が「成長したな」と思えることのひとつに、多くの人の生き方に共感できるようになったことがあります。
日本で生活していたときには気付かなかったのですが、日常の人間関係のバックグラウンドを俯瞰してみると、全員自分の経歴と似ているのです。
渡航前の人間関係は、だいたい同じような年収で同じレベル感の大学を卒業している人がメインで、彼らと仕事帰りにグルメなお店で落ち合うのがルーティーン。それが悪いことだとはまったく思わないし、むしろ常識が合うので一緒にいて居心地がよかったのです。
しかし一歩海外に出てからは、自分の人生軸と別のレンジで生きている人と出会います。
何事にも心が広く、どこか時間の余裕を持つオーストラリア人、はたまた50を過ぎてレズになった向かいに住むパーティー好きで面倒見のよい未亡人、人の食べ物を冷蔵庫から勝手に盗むブラジル人、テキパキと仕事をこなす香港人のボスや、高卒で母国では落ちこぼれだったのに海外で稼ぎまくる日本人、海外大を卒業し現地で起業した人や、国際結婚を失敗しシングルマザーとして力強く生きる女性。
ここに紹介したのはごく一部ですが、「日本で大学を卒業して働くのが幸せ」といつの間にか私の頭に刷り込まれていた定義をよい意味でぶち壊してくれる出会いが海外にはありました。と同時に日本では狭い世界で生きて来たのだろうと気付かされました。
島国で移民をあまり受け入れずに経済発展した日本で育った私は、「まわりとの調和」や「変わっていないこと」ばかりを考えすぎていた気がします。
海外に出てこれまで関わることのなかった人たちと交流することで、自分と異なるバックグラウンドを持つ人の人生や、自分が考える「人生とはこうあるべき論」を逸脱した生き方をする人と出会い、話を聞き、理解してすり合わせることで、前よりもずっと自分とは異なる生き方をする人を尊敬できるようになりました。
これまでは自分の常識と合う人がいるコミュニティに自然と所属していて、一定の思想の範囲内で生きていた私。そこでは正直、無意識に経歴や年収で人を判断していたアラサー女子だったと思います。その人の内面や思想、本質的な部分を見ることができるような心を、海外生活を通してやっと得ることができました。