「当然」「当たり前」という言葉の刃
よほど堪えたのだろう。美雨は泣きながら体を震わせていた。順也は結婚して9年が経ち、美雨の拒絶が和らいだと考えていたのかもしれない。しかし実際に、美雨の気持ちは少しも変わっていなかった。
「順也は私がDさんの奥さんに電話したことに対して、『なんでそんなに勝手なことするんだ!』って逆ギレ。男の人は社会のなかでの自分の立ち位置を最重視するって聞いたことがあるけど、順也もそうなんだって改めて思った。妻よりも、縦社会の序列が優先。それも悲しかったけど、それ以上に、Dさん夫妻の言葉がキツかった…」
Dさんの奥さんは、電話口で美雨の話を聞いたあと、「あした、ご飯に行かない?」と提案してくれたらしい。それでこの日、わが家へ来る前に食事をしてきたという。
「Dさんの奥さんによると、Dさんは『結婚したってことは、当然美雨ちゃんは順也のすべてを受け入れてくれているのかと思った。俺のまわりの再婚家庭は話題に出して大丈夫だし、笑い話にしていたりするからさ』といったみたい。Dさんの奥さんは『嫌だと感じることは人それぞれだからね、Dは気づけなくてごめんね』っていってくれたんだけど…」
美雨は、「でも彼女からも、そんなことで動揺する私に対する軽蔑のようなものを感じたんだ」と悲しそうに呟いた。
確かに、「再婚妻は、前妻や前妻の子どもを受け入れて当然だ」という風潮はある。
美雨も、「あるタレントが、夫と前妻とのお子さんの距離が縮まるよう後押しした」といった内容の記事を見かけたことがあるんだけど、そのコメント欄には、賞賛の声が並んでいて。きっとそれが普通なんだよね…」といっていた。ついつい再婚をテーマにした記事をひらいてしまい、自分の心の狭さにウンザリするらしい。「それでも、どうしても受け入れられないの…」美雨はそんな自分に心底困っているように俯いた。
「心は自由」を忘れないで
「友人だから」ということを抜きにしても、私は前妻と夫と前妻との間の子どもを受け入れられない美雨のことを責められないし、軽蔑したりもできない。人の心は自由だからだ。「養育費を払う」という義務は果たしているし、何より夫である順也が「それでもいい」といっている。ここでは詳しく述べないが、美雨の育った環境も、夫の過去を受け入れられない要因のひとつになっているように思う。
再婚妻(夫)は「こうあるべき」という形や心のあり方なんてない。結婚したのだから「こうあるべき」ということもないし、親だから、子どもだから「こうあるべき」ということだってない。
意識しておきたいのは、そんな自分が持つ「べき」論や、いつの間にか染み付いた「当たり前」の価値観が、誰かを否定し、傷つけ、誰かの家庭をも壊す可能性を秘めているということではないだろうかということ。
結婚した3組に1組が離婚する時代だ。家族の形も多様化している。だからこそ、他人の家庭や心に土足で踏み込むことのないよう、また大多数の意見や考え方が正しいのだという押し付けをしないよう、細心の注意を払いたい。
その後美雨は自宅に帰り、順也と話し合いをした結果、Dさん家族と距離を置くことにしたという。「順也にこれといった不満はないけれど、アオイがいなかったら離婚していたかもしれない」という美雨の言葉からは、社会や周囲の人たちが再婚妻に向ける当たり前の基準に、自分が順応できないことの苦悩が感じられ、胸がキュッと苦しくなった。
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