フェミニズムは、結果として女性だけのものではない
いままで私は、フェミニズムは女性だけのものだと思っていました。しかし、ジェンダーについて調べるようになり、フェミニズムと出会ってから、あらゆる性別、セクシュアリティ、人種、文化をもつ人たちのものにもなる得るとを実感しました。
まず、私にとってのフェミニズムは、「社会に生きるすべての人に平等に人権が与えられ、異なるアイデンティティをもつすべての人が平等に過ごす未来を目指すための主張」です。
19世紀末から始まった第一波フェミニズムから第三波フェミニズムをみてみると、女性参政権の獲得、賃金の平等をめぐる運動や、女性性からの解放、女性の主体性にフォーカスした運動など、主に女性の権利を主張する動きがありました。
そして2010年代の第四波フェミニズムでは、広い意味での「社会的マイノリティ」に焦点を置かれるようになり、黒人の人権を訴える「ブラック・ライヴズ・マター運動(BLM)」、沈黙されてきたハラスメントや性暴力の問題に声をあげる「#ME TOO運動」、日本では「ダイバーシティパレード」や「#KuToo運動」など、マイノリティが衝突する人種、文化、宗教、ジェンダーなどの問題にアプローチする運動が増えてきました。
インターセクショナルな視点がいま、必要なワケ
女性だけでなく、社会的にマイノリティとされる人たちと連帯するフェミニズムのことを「インターセクショナル・フェミニズム」といいます。
「インターセクショナリティ(intersectionality)」とは、「交差性」を意味し、「人種やジェンダー、階級など、個々のもつアイデンティティやバックグラウンドは、さまざまな差別の構造として交差している」という考えを示します。
「ノットオールメン(すべての男がそんなことをしない)」という言葉がありますが、性被害に遭った女性に対し、「冤罪かもしれない」「すべての男が加害者ではない」「自意識過剰なだけでは」のような言葉を発するシチュエーションをSNS上で目にします。
フェミニズムの議論で起きがちなことは、男女の対立。特に性被害について被害者が言及すると、加害者側の属性にいる人が自分も責められているように感じ、セカンドレイプなどの二次被害が発生します。
ですが、ノットオールメンの時代はそろそろ終わりにすべきではないでしょうか。さまざまな属性の人たちがフラットに生きられる社会を一緒に目指すために、被害者だけでなく男性含めさまざまな人が連帯し、性被害の問題に声をあげるべきなのです。
誰もがマイノリティとマジョリティを行き来している
同性愛者や黒人、在日コリアンなど、マイノリティであることで、マジョリティとは違う経験をしなければならない。そういった既存の権力構造をなくすため、当事者だけでなく、特権をもつマジョリティの人たちをもが一緒になって声をあげていくことが求められています。
そして、誰でもマイノリティになり得ることを忘れてはいけません。日本を出ると外国人となり、在日外国人の生きづらさを実感することもあります。同じ社会に生きる同じ人間として、マジョリティでも当事者となり、一緒に考えることが大事なのではないでしょうか。
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