「“青春”をテーマにコラムをお願いします!」
雲が厚く、いまにも雨が降り出しそうな午後。ビル管理者のちいさな優しさによって作られた、喫煙者にとってほんのささやかな休息所で空き缶に灰を落としながら、スマホの画面に映る担当編集からのメッセージを読んだ。
職場で唯一の喫煙者は肩身が狭く、仕事の合間に隠れるようにしてタバコを吸い、どこか自分と毛色が違うような同僚たちと働くなかでの編集者さんとのやりとりは、本当に生きていたい場所に引き戻してくれるような感覚を抱ける瞬間だ。
携帯の画面に映る文字は“青春”。承知しました、と返信したものの、いまの自分とのギャップがありすぎて本当に書けるのかと不安になった。
やけに“青春”の文字がキラついて見えるし、私の青春ってどんな感じだっけ?と、青春の日々は遠いむかしのように感じた。
とりあえず、“青春”という言葉をGoogleに尋ねてみることにした。言葉の意味や関連するミュージックビデオが検索結果として連なるなか、ひとつの詩が出てきた。
サミュエル・ウルマンの『青春』だった。冒頭にはこのような言葉があった。
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ」
引用:『青春とは、心の若さである。』(角川文庫/サミュエル・ウルマン著)
なるほど。青春とはクラス1のイケメンに壁ドンや顎クイされることでも、夕立にあった部活動の帰り道の自転車ニケツでもなく、心の様相なのか!
なにも学生時代の甘酸っぱいものだけでコラムにする必要はないのだな!納得し、少し安堵を覚えた。だとしたら、私にも書けることがある。
最悪な第一印象からの恋
小さいころから年上の男性が好きだった。知らないことを教えてくれる人であったり、自分にできないことができたりと、「この人すごいな」が好きに変わるタイプ。
となると、先生に恋する学生時代となり、職員室前での待ち伏せ、無理矢理授業のわからないところを作る、ほかの先生に相談してみるなどという同世代たちの経験する青春の甘酸っぱい恋とはかけ離れた恋愛をしていた。
そんな私が大学生になったころ、恋をした人がいた。アルバイト先に私より後から入ってきた、8歳年上のフリーターの男性だ。
そのころ、私は大学で演劇を学んでいてそれに準ずる仕事をしていた。そのため、アルバイトをするにもオーディションや舞台の稽古を優先できる融通の効くアルバイトをしなければならず、夜勤やショートタイムなど自由なシフトを組める場所でアルバイトしていた。
だからこそ、そこには自分と似た境遇の人たちが集まっており、話す内容は自分たちの好きなことばかりで居心地がよかった。そのなかに入ってきたのが彼だった。
紹介で入ったという彼は、特に同じ境遇ではないただのフリーター。なにか志があるわけでもなく、私から見たら別の世界の人だった。
ここにいなくちゃいけない理由もないのに、フリーターをするなんて。そして無愛想。夢を追いかける私たちを馬鹿にしているように見えるその態度に第一印象は最悪であった。
そんな彼と初めてまともに話したのは、ある日の夜勤後。タイムカードを切るまでの少しの時間だった。
彼は私が大学で演劇を学んでいることを知っていて、ある俳優の演技についての話題を振ってきた。話してみると映画好きで俳優や映画作品に詳しく知識も豊富。
第一印象とは裏腹に、大学生の私としっかり向き合う姿勢で話をしてくれた。タイムカードを切ってからも話は続き、1時間ほど話した後「また明日ね」と別れた。
それから夜勤が終わるたび、ほかのアルバイトたちと彼が話しているところに混ぜてもらい、始発を待つ時間を楽しみにするようになった。そのころから彼に対する印象はうなぎ上りで、シフトが被るのをチェックするようになっていた。
話すたびに彼の印象は変わり、そこで働き始めた理由やいまの彼について話をたくさん聞くうちに、私は彼を好きになっていたのだった。