出かけようと化粧を終え、部屋着から着替える。まずはタイツ。そのうえに靴下、そして足首までのレッグウォーマーを装着。ワイドパンツを履き、貼るホッカイロを下腹部にあてる。準備万端。
もう、ここまでの防寒をしないと外に出られなくなった。冷えは女性の大敵なのである!と言うものの、御歳26歳(という表現をすることですらまだ早い)の私がここまでやるのも若々しさがないなぁと鏡を見ながら考えたりもする。
最近は黒のワイドパンツとタートルネックにせめてものキャメルのコートを羽織る格好しかしなくなってしまった。
この冬は、ミニスカートを履いていない。昨年買ったニーハイブーツも眠ったままで、靴下ゾーンの引き出しを開けて80デニール以下のタイツがないことに愕然とした。
私が思う“女性らしさ”を露出に求める価値観がなくなったとも言えるが、男性からのデフォルトな女性を演出しなくなったのだとも取れる。
毎年、2月が近づくとチョコレート作りと当日のコーディネートを考えることに勤しんだ。
可愛いミニスカートを選ぶのが定番で、いつか奮発してチェックのミニスカートを買った。あの人の「おいしいね」よりも大切な「かわいいね」の一言のために。
あのチェックのミニスカートはどこへ行ったのだろう。それすらわからない。今年のバレンタインデーはどんな日になるのだろうか。
学生時代の一大イベント。私のバレンタイン
バレンタインデーが学生時代の一大イベントだった、という日本の女性は少なくないだろう。
友チョコ、義理チョコ、本命チョコ。地元のデパートや雑貨店を巡り歩いてラッピングや箱を選び、スーパーの板チョコの値段を血眼で比べ、最安値でまとめ買い。
チョコを刻むのに飽きてきて手で雑に割ることにしたり、生クリームを入れるタイミングや量を間違えてチョコの湯煎に失敗したり。
これはすべて私の経験談であるが、ここまで気合いを入れる女の子たちもいれば、本命チョコだけはちゃっかりしっかり作ったという人もいた。
バレンタインというだけで私たちはやけに盛り上がり、好きな人がいようがいまいがチョコ作りに励んだものだ。
そんなバレンタインデーは、たいてい高校2年までで一旦終わる。高校3年の受験期を迎えると受験で手一杯となり、内部推薦の早抜け組から友チョコを貰うだけのイベントとなるのだった(父親には一応コンビニで買ったチョコを渡した)。
もう学生時代の可愛らしいバレンタインはやらなくなるのかな。大学生になったときの自分を思い浮かべながらそんなことを考えていた。
が、しかし。大学2年のバレンタイン。一生忘れるはずのないバレンタインを迎えることとなる。
憩いの場だったアルバイト先。ある男性との出会い
私はやっとの思いで大学受験を終え、念願の芸大生となった。
だが、夢見ていた芸大生とはほど遠く、学業に課外活動と想像していたキャンパスライフを送らないまま、埼玉の山に囲まれたキャンパスに通い、目が回るほど忙しなく動き回って、いつの間にか冬が終わっていた。
ちょうど4月に大学仲間と舞台公演をする予定でバレンタインどころじゃなかったうえに、「好きな人」っぽい人はできるものの、恋に恋していただけで、大学生らしいことをしてみたいがゆえの恋愛をしていた。
バレンタインデーにチョコを渡そうなんてちょっと恥ずかしく感じた私は、その好きな人っぽい人に何もせず、大人の恋愛している感を出してみただけだった。
「もう手作りチョコは卒業よ」なんて髪をなびかせながら余裕のある女をやってみていたのだった。
次から次へとやってくる課題やオーデイションに頭も身体も一杯いっぱいになるなかで、唯一ほっと息をつける瞬間があった。それは大学一年の夏から始めたアルバイトだった。
いまはなき某温泉施設のあるテナントで、はじめは縁日コーナーの店番をやった。土日や休日以外は外国人観光客のみでほとんどお客さんがいないような場所で、課題になったセリフや次回公演の戯曲を読むのに最適なアルバイトであった(決して仕事中にやっていいことではない)。
シフトも融通が効き、公演などで長期に渡って休んでも誰か代わりを見つけたらいい。こんなに好都合なアルバイトはなかった。
そんな職場には私と同じようなことをしている人が多く働いていた。それは芸人さんたちで、テレビに引っ張りだこになり卒業した人もいたし、地下芸人としてくすぶっていた人もいた。
そんな彼ら彼女らは店番をしながら芸事の話をしたり、うちのテナントのひとつである居酒屋のほうから出てきて、「このネタどうよ」と話したりと、ほかの職場ではなかなかお目にかかれない光景が日常であった。
そんな空間が好きだったし、芸人さんたちはみんな優しいのでその輪に私を入れてくれていた。この空間を崩されたくない、私の一番の癒しみたいな職場だと思っていた。
そんなアルバイトをはじめて8カ月が経った、初夏のある日。ある一人の男性がやってきたのだった。