大嫌いなあの人。それなのに目が離せなかった。
当時27歳フリーター。身長175センチ弱・体重推定70キロ。目は垂れ目で細く、頭がデカい。脚は細くて胸板が厚く、どことなくゴリラっぽい。やる気のない目と無愛想な「はじめまして」私は一瞬でその男を嫌いになった。
「愛想がいいほうの私、そして年下とはいえ先輩である私に向かってその態度はなんや!」
というのも、店長は「いままでになくできるやつが入ったぞ!」と彼の初日を見届け、基本的に仕事ができるとは言えない芸人と大学生とそれよりはよっぽど働くベトナム人しかいないそのテナントにとっては即戦力だとホクホクになっていた。
そんな前評判を聞き、どんな人なんだろうと会えるのを楽しみにしていた。それなのに初対面が超無愛想、そして私たちと特に関わろうともしないその態度に私は憤慨してしまった。
主に私が担当している縁日コーナーの向かい側に、同じテナントの居酒屋とバーがあった。もともと飲食店で働いていたという彼はそちらの担当となった。のれんの下に見える足がこちらのほうに近づくのが見えるたび、おかしな緊張が走っていた。
「やっぱりなんかあの人ムカつきます」。口ではそういうものの、何かが気になる。
ちょうどそのころ、シフトを増やすために居酒屋のほうでも働けるようにしたいと店長に頼んでいたので、そのタイミングで余計なことが増えたからだと自分に言い聞かせていた。
「いい人だよ彼。話してみなよ」などと言われるたび、「絶対になかよくなれません」と意地を張っていた。
いまから考えれば、もうそのころから彼が気になっていたのかもしれない。そう、私はこの大嫌いな天敵の彼に恋をすることになる。
恋に落ちた瞬間。バイト仲間が考えた作戦とは
はじめは好きだということを認めたくなかった。気になるという感情から恋をするなんて、小学生か。そう考えながらも、のれんの下から見える彼の足が近づくと胸の高鳴りが抑えられなかった。
自分では認めたくなかったものの、私は仕事ができる男が好きである。お客様でごった返す店内を、表情変えずさばき切る彼がかっこよく映っていたのだ。
18時から夜中まで働く彼と、17時から22時までの出勤の私は、早く彼と一緒に働きたいと思い、早急な居酒屋での勤務を店長にせがんだ(店長がその勢いに引くほどがめつかった)。
念願の居酒屋勤務のトレーナーは彼。そのときは、もはや絶好のタイミングでの勤務開始だった。
私が仕事でわからなくなるところを見越してトレーニングするいつも以上に距離の近い彼とはじめての仕事で頭に血が上り、身体中が暑く火照っていた。
はじめての夜勤後、彼と二人きり。掃除が終わり、沈黙が続く。カウンターに置くグラスの音とテレビの雑音が響いていた。テレビのなかではケータイ電話のCM“Talking to the moon”が流れていた。時間が0.5倍速で流れているようだった。
私たちははじめてお互いの話をした。真っ逆さまに彼に落ちた瞬間だった。目に映る帰りの新木場のホームから見える景色が、写真編集の彩度を最大に上げたように色鮮やかだった。これがもしかしたら初恋なのかもしれない、そう思った。
それからというものの、シフトが出るたびに彼が出勤する日をチェックした。大体何曜日に出勤するかを把握し、翌二週間のシフトを出した。
一日でも彼がいない日があるとテンションは駄々下がり。芸人たちにも「どうしたの。テンション低いじゃん」と言われてしまうほどあからさまで、店長においては大きくフライング気味に付き合っていると思っていたらしい。それほど店長の前で彼の話しかしなかったのであろう。
私は一番仲良くしてくれていた芸人さんに相談をしてみた。第一に8歳年上であり、子どものように扱われていること。第二にプライベート話は一切していないこと。第三に脈があるとは一切思えないこと。恋愛経験豊富とは言えないその芸人さんが出した答えはただひとつ。
『バレンタインチョコをあげる』
そんなバカな…大学生にもなってましてや相手は8歳年上でそんな子ども染みたイベント…といいかけたところで「“逆に”それがいい!」と言い切られてしまった。食事に誘ったり、プライベートを詮索するよりも確実に好意を伝える絶好のチャンスなのだという。
なるほど、たしかにいまあるのは彼を好きという気持ちのみで、願わくば付き合いたいけどそんな自信もない。そのとき、バレンタインデーしかチャンスはなかった。
3年ぶりにチョコレートを刻み、湯煎しトリュフを作ってみた。カモフラージュのためにほかのアルバイトのためのチョコもラッピングし、彼の分だけ箱のラッピングにした。
シフトを確認し、渡す日を決め、チェックのミニスカートを買った。いつも黒い制服で夜勤後のボロボロメイクを見られているからこそ、いつも以上にバッチリ。そして大人っぽくタイトなニットを合わせて。
当日。彼の分だけ小さな赤い紙袋に入れ、彼が出勤前にいつも立ち寄る喫煙所へ向かった。
バイト着ではないミニスカートの私服姿で、彼の後ろ姿を探した。いつもよりも大人で大きく見えた彼の背中に息が詰まった。喉の奥のほうがつっかえるようでうまく声が出せないし、顔の火照りも感じる。
おかしな顔をしてしまったらどうしよう。頭のなかでさまざまな考えが浮かび、足がすくんだ。けれど、やるしかなかった。この日を逃したら次はない!えいや!勢い余って声をかけた。