世の中は「卒業シーズン」ですね。僕が大学を卒業して10年余り。多くの社会人に言えることですが、本来の意味で卒業することもなくなりました。
そこで今回は、大人にとっての「卒業」について考えます。何かを卒業したいと思っているかた、もしくは卒業したくないのに何かの要因で卒業しなければならなくなり、肩を落としているかたにも読んでいただければと思います。もちろん、どちらでもないかたにも。
大人にとっての卒業
大人にとって「卒業」って何でしょうか。
転職や退職?年齢を重ねたことで体質の変化も出てきて、健康のために禁煙や禁酒が必要になったり、生活習慣を改善しなければならないというのも、それ以前の食生活や生活習慣からの「卒業」と言えるかもしれませんね。
しかし、ときとして卒業したくないと思っているのに、仕事が忙しくなったり結婚や出産などの環境の変化によってそれまで大切にしてきた趣味や習慣を一時的にでも手放さなければならないなんてことにも、大人になると出くわす機会が増えます。
こうした自分にとってそのときやらなければならないことや、やりたいことに優先順位をつけること。両手からあふれてしまうぶんを選び、「もういいか」と気持ちを区切ることも大人にとっての卒業と言えるのではないかと僕は考えます。
一時期は何度も何度も着ていたとても気に入っていた服も、いまとなっては何年も袖を通していないため「そろそろ手放そうか」と思い立つ感覚に似ているかもしれません。意図しない卒業には、どうしても後ろ髪を引かれてしまいます。
「大きな石」
年を重ねると、おのずと大切なものが増えていきます。仕事、夫婦、子ども、家庭。ひとつではないかたもいますよね。
大切なものが増えると、そのぶんやらなければならないことも増えたりついて回ったりします。
物事の優先順位に関する話で、「大きな石(この壺は満杯か?)」という話をご存じでしょうか。ある大学教授が生徒たちに説いたといわれる、ネット上で有名なお話です。ご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、改めてここで簡単に紹介しましょう。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。
砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺は満杯か?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ
彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」
君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。
ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。
もし君たちが小さな砂利や砂、水など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。
大きな石、とは自分にとって大切なものや重要度の高いこと。それを先に入れない限り自分の予定や人生といった壺は小石や砂のような重要ではないとても些細なことで埋め尽くされて、重要な本当に入れなければならないことが入らなくなってしまうというお話です。
大切なものが増えたとき、仕事などがあふれてしまった時に思い出してほしいなと思います。