クリスマスにおばあちゃんは生き返る
12月22日。午後0時2分。おばあちゃんは逝った。クリスマスには間に合わなかった。何度も心拍が落ちるたび、家族全員で大声を出して足を摩った。
無我夢中で、あと一分一秒でも長く生きてほしかった。誰がなんと言おうと、私たちは大きな声で呼びかけた。もう心拍が20、14、7と下がっていくなか、「ありがとう」と叫んだ。「ありがとう」という言葉以外思いつかなかったからだ。
最後におばあちゃんは永遠に合わすことができないと思っていた目を開き、私たちを見た。心拍が0になった途端、ぎょろんと瞳孔が開いた。彼女が逝った瞬間だった。
外に出ると真冬とは思えない、嘘みたいな生暖かい風が吹いていた。おばあちゃんが何かの映画のワンシーンみたいに演出したようで、その風はこの世の終わりかと思うほど悲しみに暮れる私たちの心をゆっくりと解いた。
イヴの朝。おばあちゃんの身体は焼かれた。肩身離さず身につけていたルビーの指輪を骨壷に入れた。死んだおじいちゃんがプレゼントしたものだった。
私たちは、その日の夜、クリスマスケーキを買った。おばあちゃんの好きだったチョコレートのケーキだった。
10代最後のクリスマスは悲しくて苦しくて息ができないほど、鼻の奥に溜まった悲痛の感情がボロボロとこぼれ落ちていく日だったけれど、私はクリスマスが近づくと必ずおばあちゃんを思い出すことができる。そしてあのクリスマスがあったから、平穏にやってくるクリスマスを幸せだと思えるのだ。
今年も新しいコートを買った。どんな苦しいクリスマスがあったとしても、レジの前で思い浮かべるのは幸せなクリスマス。そしてその日が近づけばおばあちゃんの凛々しい顔や長くしわしわな指やしゃがれた声や19年間私にかけ続けた言葉を思い出せるのだ。
クリスマスの時期が訪れるたび、私たちが思い出せばおばあちゃんはまた生き返る。今年のクリスマスはどんな日になるだろうか。
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