自己受容的な視点から怒りと向き合う方法
そうではなくて、自分の中にある怒りと真剣に向き合いながら
- 親に何をされて(されなくて)、それによってどんなことを考え、どんな気持ちになったのか
- そのせいで、さらにどんなことを考え、どんな気持ちになったのか
- そのとき、本当はどうしてほしかったのか
- それが実現しないことで、どんなことを考え、どんな気持ちになったのか
- そのとき、本当はどうしたかったのか
- そのとき、本当は何を伝えたかったのか
- それを実現できないことで、どんなことを考え、どんな気持ちになったのか
このようなことを、過去のエピソードを思い返し、自分の中にある怒りを丁寧に分解しながら、しっかりと受け入れ自己受容していくのです。
この作業は、多くの場合、とても苦しくて、とても辛い作業になると思います。奈落の底に落ちて抜け出せなくなるような恐怖を感じることになるかもしれません。
なのでなおのこと、「こんなに苦しくて辛いことをしやがって!」と毒親への恨み辛みが増してくるかと思いますが、それすらも「こう思うことはしょうがない…。だって、あんなことやこんなことがあったり…」などと、丁寧に分析しながら自己受容をしてみるのです。
そして、こうした辛く苦しい過去があるにもかかわらず、いまこうして生きている自分のことを徹底的にいたわり、優しく抱きしめ、毒親のために頑張る必要がないと自分を許してあげましょう。
誤解がないようにしたいのですが、僕は「無理やり努力で許す必要はない」とは言っていますが、「許す(手放す)必要はない」とはいっていません。
「済んだことはもういいか…」などと、自然と感情が納得しているのであれば、むしろそのほうがいいと思います。ですが、僕のこれまでの経験上、そのような心持ちになるまでには、それ相応の時間が必要になると思っています。
それも、ただ時間だけが経過すればいいとうことではなく、「怒りの感情と真剣に向き合い自己受容した時間」が必要だということです。
そもそも、「許すこと」をしないと前向きに前進できないなんてことはありません。
怒りを内包したままでも、その怒りを抑圧することなく、自身でしっかりと受け止めてさせいれば、「それはそれ、これはこれ」と割り切って前進できるのです。
そのためには、これこれこういう理由があって、いまこうして激しく怒りを抱えている自分がいるという厳然たる事実にしっかりと共感し、「怒るのもしょうがないよね…」「怒っていいんだよ…」と肯定的に、かつ徹底的に自己受容してみてはどうでしょうかというのが2つ目の視点です。