ただ愛するだけじゃ足りない
学生時代の友人たちと久しぶりに会い、結婚の話で盛り上がった日。家に帰り、自分自身を振り返ると「私の人生は仕事だけでほかの幸せはないのでは?」と悲観してしまうことがあります。
そもそもいまの段階で結婚を考えているわけでもなければ、法律的に結婚ができるわけでもない。ですが、友人からの結婚に対する不満や懸念点を聞いていると、「私ならこうするのにな〜」と現実的に向き合うこともあり、ある意味結婚が私にとって身近に感じる瞬間もあります。
結婚について考えていると、結婚することでメリットとなることも多くあり、仮に将来私が同性の恋人と人生を共にすることを心に決めるのなら、付き合うよりも結婚を選ぶでしょう。
それは、私たちが一緒に生活をしていくなかで、他人ではないこと、存在する一人の人間としての証となり、生活のなかで安心できることも増えます。
大切な人と一緒の家に住む権利、大切な人が病気を患ったときそばにいてあげられる権利、大切な人と子どもを育てる権利など、法律により可能とされることはたくさん存在します。ただ愛しているだけで幸せとはいえないのです。
消去法での人生選択
シスヘテロ(シスジェンダー、ヘテロセクシュアルの略で、出生時に割り当てられた性と性自認が一致した異性愛者のことを指す)が前提の社会では、シスヘテロの人たちは、理想の人生と現実を照らし合わせて未来を考えられることがあります。
会社に入って数年で将来の夫と出会い、結婚、出産、その後育児休暇を取り、何年で会社に復帰する、というような人生設計を立てる人は珍しくないでしょう。
ですが、シスヘテロではない人たちが同じような人生設計を立てたとしても、同じようには叶えられることはありません。
好きな人と暮らしたい、結婚したい、子どもがほしいのように加点方式で人生構築できる人がいる一方、消去法で仕方なくいまの人生を選択する人がいるのです。