考え方を養う教育とはどんなものか
具体的にインターナショナルスクールで、どんな自由な発想を養う教育をしているかという話になりますが、先日非常に勉強になったことがあるのでご紹介します。
娘の通うインターナショナルスクールでは課外授業などがあると、保護者ボランティアを募って、数名の保護者が帯同します。
私は、娘2人それぞれ、年1回は保護者ボランティアをやるようにしていますが、昨年の12月にも博物館の課外授業の付き添いボランティアをしてきました。
博物館に入ったら、そこからは子どもたちの自由にさせることを前提に、先生は下調べも入念にし、保護者ボランティアにも30分の事前説明を行い、「ここはこんなエリアであそこはこんなエリアで色々勉強になるので、興味が持てるところに自由に行かせて」という指示がありました。
「こんなに素晴らしいコーナーがたくさんあるから全部行かせたい」ではなく、「こんなに素晴らしいコーナーがあるから自由に興味のままに過ごしてほしい」というのは、ちょっと日本の感覚とは違いますよね。
当日5名の子どもたちの担当になった私は、子どもたちがやりたいようにさせて、結果、3分の1くらいのエリアには行くこともできませんでした。
でも、子どもたちが行きたいところに行き、時間をかけたいところに時間をかける、というのはすごく子どもを尊重しているなと思いましたし、付き添いは安全確保に集中というのも納得でした。
また、非常に勉強になったのが、先生が力で統率しようとしていないことです。決して大きな声で指令を出すように話すのではなく、子どもたちには話をするように伝えるのです。
自由にやらせることでルールが少ないので、逆に先生が何かを話し出すと、「おもしろいことが始まるかも」と、先生が声を張り上げて説明しなくても、みんなが聞くようになるというのも興味深かったです。
こんな形で、自由な枠組みで教育をすると、「先生にも提案してみよう」とか、「あっというものを作ってクラスを驚かせよう」とか思えるようで、これが素晴らしいなと思います。
私のように言われたことをしっかりやる教育に慣れてしまっている親のもとでは、枠を超えた発想は育みにくいので、学校でそういう考え方を学んでほしいと思います。
「日本語も読み書きさせたい」は相反する目標
なお、「インターナショナルスクールに通わせていると日本語はどうなるの?」という心配は、たとえば義両親などもしていました。
当初、私もそれを不安に思うところもありましたが、インターナショナルスクールに入れておいて、日本語もしっかり喋らせたいというのは親のエゴじゃないでしょうか。
子どもにもキャパというものがありますし、優先度として、私は「言語」より「考え方」を育むことを重視しました。
世界で戦うための考え方を身につけさせたいのに、日本で生きるために日本語も勉強させたいとは、相反する目標だと思っています。
もしインターナショナルスクールに行ったことで日本語が読めなくなったとしても、英語では何ひとつ不自由しないならいいでしょうという考え方です。
ただ、実際のところ日本語の授業も毎日ありますし、日本語の本を読むことも学校として推奨しているので、2人とも日本語は実年齢より1学年下くらいのレベルではあります。