これから傷つく人を減らすために、「世のなか」に訴える
この世の中は異性愛者のかたが圧倒的多数で、それが長い間当たり前とされてきたことは周知の事実。そして僕たち当事者が、声をあげ難かった理由の多くがこれによるものです。
誰かを傷つけようなんて考えず平穏に暮してきた自分の過去に、傷ついた人がいたかもしれないなんて言われても、「そのときに言えよ」と思うかもしれませんが、大多数に対してマイノリティの僕たちはどうしても言えなかったんです。
いまようやく小さな声をあげやすいSNSも浸透し、「あのころは辛かった」と言える世の中になってきたから、一気に噴出している時期にあるというだけなのです。
過去に対して「こういうことが嫌だった。傷ついた」という主張は、異性愛者個々人の過去を掘り返し罪を問いたいのではなく、「こういうことをすると傷つく人がいるんだな」と気づいてもらうことで、これから傷つく人を減らしていきたいからなのです。
特に学生などの若年層の当事者に対し、大人の当事者から伝えることで「これは嫌だと言っていいことなんだ」と伝えることは重要です。不安で揺らぎやすい多感な時期の心を守ってほしいなと思い、筆者もこうして文章を書いています。
言葉が強くなってしまうのは、長い間押さえつけられてきたぶん、堰(せき)を切ったように言葉があふれ出てしまっているからで、その言葉は異性愛者を傷つけるために紡いだものではありません。
かと言って、多くの当事者が上から目線で「異性愛者の考えを改めさせてやる」などと思っているわけでもありません。
ただ、なかにはこれまでどんなに声をあげても同性婚が実現しなかったことや、日本で当事者を取り巻く環境の変化の足取りの重さにウンザリして「どれだけ声を上げても聞いてもらえない」と嘆いている当事者がいるのも事実です。
どんなに多くの理解や支持を得られようとも、異性愛者にはあって身体の性が同性であるカップルには与えられない権利が現状明確に存在する以上、文句のひとつも言わないとやっていられない…という状況になることもあります。
そんなときにあげる声をぶつけている先は、異性愛者個人ではなく、世の中や政治に対してです。