「理解」はできなくても、「尊重」はできる
LGBTQ+当事者、異性愛者関係なく、どんな人でも100%他人を理解することはとても難しいことだと思います。異性愛者の間で考え方や感じ方が人によって異なるように、LGBTQ+当事者も人によって考え方も環境も全く違います。
このような記事を書いている筆者も、自分自身の考え方に「この考えは偏見だな」と感じることがあるし、どうしても理解できないことはあります。偏見や無理解は大なり小なり、何かしらのことで誰のなかにもあるものです。
場合によっては「LGBTQ+を理解できない」ということよりも、「私は偏見がない」と公言できてしまうことのほうが、悪気なく当事者を傷つけてしまうことがあるのではないでしょうか。
「LGBTQ+を理解できないって悪いこと?」と考えるのは、自分に少なからず偏見があることや、いまの世の中でマイノリティの当事者を意図的に傷つけたり、排除・差別することがよくないこととして明確に存在していると理解できているのだと思います。
かと言ってはじめから「理解できないのだから仕方ない」と諦めるのもよくありません。理解できるに越したことはないし、理解しようとする姿勢は大切です。
そうしたうえで自分の考え方や感じ方とギャップがあり理解できないのならば、理解できなくてもいい。なぜなら理解することができなくても、人として尊重することはできるからです。
誰かに対し媚びを売るとかひいきをするのではありません。あくまでも傷つけたりせずに、当事者は自分とは違い「相手は相手、自分は自分」なのだと考え、自分のなかで相手の存在を認める。
そうやって接すれば、むやみに傷つけてしまうような結果になる可能性は低いのではないでしょうか。そしてこの考え方ならば、LGBTQ+当事者以外、ほかの事象によるマイノリティに対しても、尊重することができると思います。
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