認知症と判明してから
ご近所さんからの電話を受けて、母を物忘れ外来に連れて行こうと試みましたが、本人は「どこも悪くない」となかなか病院へ行こうとはしません。
渋る母をなんとか説得して病院へ行くと、悪い予感が的中。初期のアルツハイマー型認知症と診断されました。
アルツハイマー型認知症は、65歳以上の人では最も多い認知症。特に女性に多い傾向があるそうです。
症状が出ても初期のうちは、軽いもの忘れ程度で、日常生活に支障はありません。しかし、症状が進むとお金の管理やスケジュール管理が難しくなり、家族のサポートが必要になってきます。
そして、最終的には会話も難しくなってきますが、そのような症状に至るのは発症からだいぶ後になります。
診断結果を受けて私はショックを隠しきれませんでした。
「まさか、母が認知症になるなんて…なんとか、進行を止める方法はないの?」
薬で進行は遅らせることができるものの、完全に進行を抑えることはできません。
この診断結果に母自身は、特に気にする様子もなく、意外とあっけらかんとしていました。母のなかでは、年相応の物忘れだと思っていたようです。
このときは、まだ軽度の認知症で日常生活に支障はない程度。介護認定の申請をしても軽く済んでしまうだろう。しかし放っておくと、この先どんどん症状は悪化していく。一体どうしたらよいのかと悩む日々が続きます。
認知症は、一人暮らしだと進行が早くなると言われており、周りからも「母を一人にするのは心配だ」と言われました。
私は一人っ子で頼れる兄弟もおらず、このとき父とは別居中。毎日電話で薬を飲んだか確認したり、頻繁に帰省するようにはしていましたが、仕事復帰したこともあり、ゆっくりは滞在できませんでした。
しかし、しばらくして思っていた予感は的中し、症状はだんだんと進行していきました。
そして、認知症が進むと現れる「特有の症状」が見られました。
認知症になるとお風呂へ入りたがらなくなるとよく聞きますが、母もだんだんとお風呂を嫌がるようになりました。どうやら、薬も飲んでいない様子。お金の管理も難しくなり、通帳をよくなくすようになりました。
また、なくした通帳を私が持ち出したのではないかと怒り出すこともしばしばありました。認知症によくみられる「被害妄想」や「物盗られ妄想」が多くなってきたのです。
このときの私は、認知症の母との接し方がわからず、できないことを怒ったり、責めたりしてお互いの関係がだんだんと悪化。母自身も自分の物忘れに少し不安を感じ始めていました。
そして、ずっと続けていた手芸教室も継続が難くなってきたのです。開催日を忘れることが多くなり、生徒さんたちに迷惑をかけることが多くなり、結局、手芸教室は母本人の希望もあって辞めることになりました。認知症と診断されて、ちょうど1年が経ったころです。
私の見守りだけでは限界に…
私は、私の見守りだけでは限界だと感じるようになりました。そこで、地元の包括センターに相談して介護認定を受けることに。
審査員の訪問があり、それに合わせて私も帰省し、認定審査に立ち合いました。
母は、他人の前だと「自分はまだしっかりしている」と主張するので、母のいないところでこっそりと審査員のかたに現実を事細かく説明。審査からしばらくして介護認定の通知が届き、結果は「要介護2」。週1回のデイサービスをお願いすることにしました。
しかし病院のときと同様に、母をデイサービスへ通わせるのは至難の業でした。このときすごく助けられたのが、ケアマネジャーさんの存在です。さすがに介護のプロ。うまく母をデイサービスへ誘導してくれました。
そして、デイサービスの日も母が忘れないようにフォローしてくれたり、定期的に安否確認をしてくれたりととても頼りになる存在でした。
要介護2の認定を受けてから、私も頻繁に実家に帰るようにして、母の様子を見ていました。
しかしさらに半年ほどたったころ、とうとう一人で生活するには、限界が近づいてきました。