母が大好きだった地元を離れ、同居することに
地元での生活が大好きだった母。できれば、母の希望通りの生活をさせてあげたい。しかし、もうすでに生活の拠点を東京に移している私たち家族が引っ越すのは難しい…。
ケアマネジャーさんにも相談し、一時的に東京の私の家にしばらくの間滞在してもらうことにしました。
「孫の成長も見れるし、私が近くにいることで安心できるのではないか?これから先のことは、一緒に生活してみて考えていこう」
夫にも相談し、しばらくの間母と同居することに。「やはり、家族がそばで見守るのが一番いいのではないか」そのときは、そう思っていました。
しかし、いざ一緒に生活してみると色々と問題が…。
まず、日中は私も仕事をしていたため家に誰もいなくなってしまう。母を自宅で一人にしてしまうことが一番の問題でした。このとき、東京で介護サービスは受けていませんでした。
「住み慣れない場所での生活、日中の閉じこもりの生活は、母の病状を進行させてしまうのではないか」「東京に連れてくるのが、母にとって本当によいことだったのか」さまざまな思いが、私の頭のなかをめぐりました。
また、認知症の症状が進み、お風呂に何日も入らなかったり、家のものをどこかに片付けて置き場所がわからなくなったり、同じ話を繰り返したりと、一緒に生活してみるとこちらもストレスを感じるようになりました。
唯一の救いは、私の子どもと楽しそうに遊ぶ母の姿を見れたこと。やはり母にとって孫の成長を身近で見ることは、嬉しいことでもあり、刺激にもなったようです。
徐々に環境にも慣れてきて、近所のスーパーまで一人で買い物に行けるようにもなりました。
「介護サービス付き高齢者住宅」へ
母と同居を始めて半年経ったころ。また問題が発生。最初は母と一時的に同居することを認めてくれていた夫が、しばらくして「いまの生活は精神的に辛い」と言い始めました。
夫にとって、母は気を使う存在で、母がいることで、家族水入らずの時間が取れなくなってしまうと感じたのでしょう。それは当然のこと。私が逆の立場だったら、同じことを思ったかもしれません。
「やはり施設を探したほうがいいのかも。体は元気なのに施設に入居できるの?東京の施設となると、金銭的にも厳しいだろうし…」
認知症の難しいところは、体は元気で日常的なことはできるのに物忘れの面でサポートが必要なこと。有料老人ホームのようにたくさん制限があるところだと、急に症状が進んでしまうこともあるそうなので、日常生活に制限はかけたくないと思っていました。
しかし、このままの生活を続ければ家庭は崩壊してしまう…。今度は、東京の包括センターへ相談しにいきました。
そのときに施設のことなども相談したら、私の住んでる家の近くに介護サービス付きの高齢者住宅が新しくできることがわかりました。
私の自宅から徒歩20分ほど。介護サービス付き高齢者住宅は、有料老人ホームと比べて生活の自由度が高く、料金も安価。24時間介護職員が常駐し、必要であれば介護サービスが受けられます。また、食堂も併設されており、希望すれば、3食ご飯が食べられます。
部屋にはお風呂、トイレ、キッチン(IH)が備えられていて、自分で食事を作ることも可能。また、外出や家族の出入りも自由です(※外出するときは、出入り口の受付を済ませてから出かけます。※現在、新型コロナウイルス感染者の増加に伴い家族の入室ができない場合もあります)。
わりと自立した生活を送ることができる場所。さっそく母と一緒にサービス付き高齢者向け住宅を見学に行き、入居することになりました。
入居するまでにも、いろいろと揉めて大変なこともありましたが、現在は薬の管理、週3回のデイサービスと週2回の家事援助、入浴介助、リハビリ(カウンセリング)のサービスを受けながら生活しています。
ときどき「山梨に帰りたい、ここに住むのは嫌だ」と言うこともありますが、入居して3年が経ちました。私の自宅からも近いので、頻繁に子どもを連れて一緒に散歩や買い物に行ったりして、なるべく一緒に過ごす時間を作っています。
これからも母と過ごす時間を大切にしたい
私は、まだ幸いにも介護サービスや施設のサービスを利用しながら仕事も辞めずに生活ができています。しかし世の中には、介護をきっかけに離職したり、自分の生活を犠牲にしているかたはたくさんいます。
母の認知症が進めば、自分たちの生活を変えなければならないときがくるかもしれない。そしていまの住居より手厚い介護が受けられる施設に移らなければいけない日が来るかもしれない。そうなると金銭的にも厳しくなる…。
これから先のことを考えると不安なこともたくさんありますが、いまはなるべく母と過ごす時間を取り、大切にしていきたいと思っています。
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