幼いぼくの役割
突然、がらりと襖を開けて母が飛び込んできた。それはすごく珍しいことだった。台所仕事を終えた「女」は、すぐに居間に戻って「男」たちの世話をしなければならない暗黙の了解があったから。
どうしたん、と聞くと、母はぼろぼろと泣き始めた。ついいましがた、親戚中の目の前で祖母に料理についてケチをつけられたこと。父は庇ってくれるどころか、同調して母を責め立てたこと。
「お義母さんもパパも嫌いや、なんであんな人と結婚してしもたんやろ」
子どもみたいに泣きじゃくる母を見るのは生まれて初めてのことで、ぎくりとしたのを覚えている。どうしよう、なんとかして母を泣き止ませなければ。半分パニックに陥りながらも、どうにか小さく幼い脳みそをフル回転させる。
「ママのほうが料理上手やん。ほかの子のママは、ロールキャベツなんかよう作らんらしいで」
「ほんまに?ママの料理、あんたは好き?」
「うん、おいしいよ。おばあちゃんのご飯よりママのご飯のほうが好きや。おばあちゃんの料理は、茶色くて硬くておいしないし嫌いやわ」
すると母はぐしょぐしょになった顔を上げて、ありがとうなあとぼくを抱きしめた。
「あんたはええ子やなあ、あんたがいてくれてほんまによかった」と肩口で囁く母の鼻声が、体の芯を熱く震わせた。それはかつて体験したことのない、たまらなく甘やかな幸福だった。
本人に自覚はなかったかもしれないが、母がぼくよりも双子の弟のほうが可愛いのは明らかだった。それは当事者しか嗅ぎ取れないわずかな匂いなのだけど、だからこそいっそう弟が憎らしかった。
口が達者で生意気な娘と、自分とよく似た大きな垂れ目を持つ息子。言葉も歩くのも遅かった彼は、ぼくから見てもどこか赤ちゃん臭く、そんなところも母の目には余計に愛らしく映ったのかもしれない。
でも、母は泣き言を漏らす相手に、弟ではなくぼくを選んだ。ということはつまり、母の気持ちに誰よりも寄り添えるのはぼくで、ぼくしか母の心を真に理解し得ないのだ。
そう思うと、なんとも言えない高揚がじわじわと胸の奥から込み上げた。泣きすぎて声の枯れた母に「お茶飲み」とぬるくなったペットボトルを差し出すと、へにゃりと母は笑って、もう一度「ありがとうなあ」と繰り返した。
それ以降、母は躊躇(ちゅうちょ)なく「大人の事情」をぼくに打ち明けるようになった。姑が吐く暴言、父の心ない言葉や態度、小姑たちの嫌味、親戚の誰かの噂話、遺産問題。
「分家の○○さんの奥さん、お義母さんに意地悪されて出ていかはったらしいで」
「こないだおじいさんが亡くならはったあそこんち、遺産で揉めてドロドロやって」
「親戚の○○くん、もう何年も前からずっと引きこもりやってん」
およそ子どもに聞かせるべきでない内容も、母は2人きりになるとぼくにあけすけに喋った。 いつもはおっとりとしているのに、このときだけは決まって母は早口になる。まるで膿を吐き出し切ろうとするみたいに。
そしてそのたびぼくは、母がいちばん求めてる言葉を探して、探して探して探して、差し出すのだ。そうすると母は必ず、ぼくを褒めてくれる。「私の気持ちをわかってくれるのは、あんただけや」と。