ただ、無償の愛を求めていた
昨年、さまざまなことが重なった末に、両親…主に父に対して事実上の絶縁宣言をした。
それから母とは、必要最低限の連絡しか取っていない。極力会わないし電話には出ないと言い渡したため、やりとりはテキストメッセージに限られている。
その「必要最低限」もつい先日に母の母、つまりはぼくのもう1人の祖母が亡くなったためであり、この件が落ち着いたら本格的に関わることもなくなりそうだ。
母と連絡を取らなくなってから、びっくりするほど生活は穏やかになった。悪夢を見ることも、フラッシュバック起こすことも、想像以上に激減した。
ただ時折、母のこれまで生きてきた道のりに思いを馳せる。母の人生は、とことんまでに思い通りにならなかったんじゃないだろうか。
話を聞く限りぼくと弟が生まれる前にはもう、父にDVの兆候はあった。些細なことをきっかけに突然激昂し怒鳴りつけ、テーブルの脚を蹴り飛ばす。
かと思えば翌日には機嫌を取るような言動を見せたり、優しく労わるような言葉をかけたりと、そのころからすでに父の機嫌に振り回される日々が始まっていた。
やがて子どもが産まれると、凶暴さはますます顕著になっていった。2歳にも満たない我が子を、まるでサンドバッグみたいに殴りつける。
「結婚相手が、まさか子どもに暴力を振るう人間だったなんて」その壮絶な絶望のなかでこなさねばならない、双子の育児。当時まだ20代前半だった彼女には、きっとどうすることもできなかったのだろう。
そんな環境でまともな「母親」になど、なれるわけがなかったのだ。子どもを守り切ることなど、およそ不可能だった。当時の彼女の年齢をとうに越えたいまなら、彼女もまた「子ども」だったのだとわかる。
「子ども」の彼女は、高圧的な夫に洗脳されていった。夫に言われるままぼくと弟を殴り、罵倒するような、気がつけば彼女自身の理想像から遠く離れた母親になってしまったのだろう。あの鬼のような母が、彼女の本当の姿だとはぼくにはやっぱり思えないのだ。
母と連絡を絶つに当たり、母の昔馴染みに「母の精神状態が心配なので気が向いたら様子を見てほしい」とお願いをした。いわば母の引き継ぎである。
そこで判明したのは、母は友人にすら何も話していなかったということだった。母はあれだけの精神的なサポートをぼくに背負わせることにためらいはなかったのに、友人には父の暴力さえ一言だって話していなかった。あの家のなかで起きていた惨劇を、その人は一切聞かされていなかったと言う。
「家庭内」のことを「外」に知られるのが、恥ずかしかったのか。あまりに思い通りにならぬ人生が悔しかったのか、かなしかったのか。そのすべてかもしれない。
母から母の人生を奪ったのは、ある意味ではぼくでもある。「あんたたちがおらんかったら、離婚してたやろな」と母は言っていた。就職した経験すらない彼女は、独り身で2人の子どもを抱え、生き抜いていく勇気など持てやしなかったのだろう。
それでも、彼女の人生はまだまだ続く。結婚生活も子育ても、失敗に終わったのかもしれない。だけど、彼女は彼女の人生を歩み続けるほかないのだ。対等な関係性の相談相手を持ち、適切に他者に頼り、自分の力で新たな道を切り拓いていくしかない。
母のヤングケアラーを降りたいま、寂しくないと言ったら嘘になる。母が憎い、死ぬほどに憎い。そして、愛されたかった。いつだって無償の愛を求めていたし、一度でいいから守ってほしかった。
だからいまは、母としてではなく、1人の人間としての彼女の幸せを願っている。
ぼくと彼女は、「親子」にはなりきれなかった。でもいつの日か、彼女が自分の人生を掴み直したら。そのときはたまにお茶をするような、ちょっぴり遠い友人のようになれたらいい。
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