ぼくは母の「ヤングケアラー」だった
結婚して家を離れても、ぼくは母の愚痴を聞き続けた。母が聞いてほしそうな、それでもなかなか切り出さないときは、ぼくが水を向ける。その役目を引き受けることを、誇らしくさえ思っていたのに。
「お母さんとは、離れたほうがいいですね」と、カウンセラーさんは言った。「あなたはお母さんと、長らく共依存関係にあります。ここを断ち切らなければ、あなたは前に進めない」
冷水を浴びせられた気分にはならなかった。むしろどこかで「やっぱりな」と腑に落ちていた。
母の話を聞き続けることは、すなわちぼくを抑圧した父や祖母の情報を仕入れ続けることである。それが自分の精神状態に悪影響を及ぼし、フラッシュバックの引き金になっていることにも、気づいていた。
「お母さんがあなたにしていた話は、小学生に聞かせていいものではありません。あなたがずっと引き受けていたのは、お母さんのメンタルのケアなんです。本来子どもが担うべきでない、大変な役割を背負わされていたんですよ。だって、自分の言葉ひとつがお母さんの精神を左右するなんて、ものすごい重圧だと思いませんか?」
その役割は、本来パートナーである父や、同年代の母のきょうだいが担うべきだったのだ。
そうだ、本当はいつも怖かった。間違えてしまったらどうしよう、これが母の求めているものではなかったら。母の涙を止められなかったら、母の気持ちを救えなかったら、母の気持ちを余計に追い込んでしまったら。母の愚痴を聞くときは、いつだって細い細い糸の上を歩いているようだった。
「あなたはヤングケアラーだったんです」とはっきり告げられてからも、ぼくは母との共依存関係をなかなか断ち切ることができなかった。
ヤングケアラーとは、家族に代わり幼いきょうだいの世話をしていたり、問題を抱える家族に対応していたり、家計を助けるために労働をしていたり…一般に本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どものことだ。
着信があれば、折り返してしまう。会って不安そうなため息をついていたら、「なんかあったん?」と問わずにはいられない。
「自分が聞いてあげなきゃって、いまも思ってしまいますか?」
カウンセラーさんにそうたずねられたとき、何も答えることができなかった。
その義務感は、たしかにこの身に染み付いている。でもそれよりも何よりも、本当は「母の一番の理解者」の座を手放すことが恐ろしかった。だってそれを失ってしまったら、母がぼくを愛する理由がなくなってしまう。
だけど、本音を言えば、そんな条件などなくたって愛されたかった。大人びた口調で「おばあちゃんってほんまいけずやな。何言われても流しとき」なんてアドバイスしなくたって、必要とされていたかった。
そしていつも、心の底では叫んでいた。“ずるいよ、ママはパパからぼくを守ってくれやしないのに。どんなに頑張ってママの気持ちが少しでも軽くなるように言葉を尽くしても、同じだけの優しさは返してくれないのに”。