「無自覚な虐待サバイバー」が虐待の連鎖を起こしやすい理由
「虐待の連鎖は、“無自覚な虐待サバイバー”が起こしやすいんです」と、いつだったかカウンセラーさんが言っていた。
自分が虐待を受けていただなんて、認めたくない。認めてしまったら、自分は親に愛されていなかったことになってしまう。だから“無自覚な虐待サバイバー”は、虐待を連鎖させてしまうらしい。
たしかに、親は厳しかった。ときには手を挙げられることもあった。だけどそれは教育熱心だったからで、自分のためを想ってやってくれたことだ。しつけのためには、心を鬼にする必要もあったのだろう。親を恨んだ時期もあったけれど、厳しく育ててくれたからこそいまの自分があるのだ。
…こんな具合に自らの被害を美化してしまう。そうしないと、とてもじゃないけど心を保っていられないから。
父はまさに、このタイプの“無自覚な虐待サバイバー”だった。祖父から受けた虐待を、愚痴を吐きつつも「結果的によかったもの」だと正当化していた。いや、正当化しようとしていた。
正当化するために、ぼくや弟に暴力を振るったのだ。彼が子を虐待したのは、自分がされてきたことの正しさを確認するためでもあった。自分がされてきたことは不当でも理不尽でもなかったのだと、証明したかったのだろう。
ぼくはそのことを、祖父の葬式で号泣する父を見たときに確信した。彼は「恨んだ時期もあったけれど、この人が親でよかった」と浄化させることで、「乗り越え」たのだと。
それが彼自身を救うんなら、彼の勝手である。されてきたことをどう捉えるか、どう解釈するかは、その人の自由だから。
彼が父から受けた暴力を「しつけ」と解釈するのなら、それこそが彼にとっての真実なのだ。そしてそれをたしかなものにするために、ぼくが犠牲になった。いわばぼくは、彼のカタルシスのための生贄だったのだ。
カウンセラーさんは“無自覚な虐待サバイバー”の心理を教えてくれたあと、こう続けた。
「あなたはお父さんとは違って自覚的なサバイバーだから、虐待の連鎖を断ち切れますよ」と。
実際にサバイバーでありながらきちんと連鎖を断ち切って、親を反面教師にして、大切に子を育てている人はたくさんいる。でもぼくには、自信がない。
結婚当初、ぼくは虐待の後遺症でフラッシュバックを起こし、とても表には出せぬようなひどい言葉でパートナーをなじってしまう時期が続いた。
そのときの彼を責め立てる口調があまりにも父にそっくりで、自分で愕然としたのをよく覚えている。
あれほど憎んでいた父と同じやり方で彼を精神的に追い詰めた自分を、いまでもぼくは許していない。彼の心に一生癒えぬ傷をつけてしまったことを、彼は「しょうがなかったんだよ」と言ってくれるけど、ぼくは生涯許せない。
あのときのような激しい口調で彼をののしることは、いまはもうなくなっている。でも、それは完璧じゃない。
精神疾患は「寛解」こそすれ、「完治」は永遠にやってこない。現在もフラッシュバックを起こすし、その際に夫に当たってしまうこともある。
もっともそれは以前と比べればずいぶんとましになったし、すぐに我に帰って「ごめんね、こんな言い方をするべきじゃなかった」と謝罪できるようにもなった。だけど父と同質の暴力性を、もしかしたらぼくもこの身にはらんでいるのかもしれないと思ったとき、空恐ろしくなった。