「したい」のは悪いこと?
したいと思うことも、けして悪いことではありません。
前述しましたが、この記事の大前提は「自分本位ではない、相手の尊厳を守った同意のうえの行為」であることです。
なので、もしもあなたがパートナーに誘いを断られたことに悩んでおられるのならば、普段のベッド内外でのコミュニケーションが自分本位のものではなかったか、自分本位であると誤解されそうなことはなかったか、念のため振り返ってみてください。
行為がはじまる前から、終わった先まで相手を思いやって言葉や行動を選び取れていたか。もしも思い当たる部分があったならば、まずはその部分を謝るところから、ふたりにとっての行為について向き合ってみていただきたいです。
誘いを断られ続けてしまうと、なんだか自分ばかりが行為をしたいと思っているみたいではしたないとか、身体目当てと思われないだろうかと恥ずかしさや不安を感じてしまうことがあります。
僕もそう思ったことがあるからこそ、「したい」と思うことは全く恥ずかしくない、愛する人としたいと思うこと自体は悪いことではないと声を大にしてお伝えしたいです。
なぜなら「したい」気持ちは単なる性欲処理ではないのだから(単なる性欲処理であるなら、それは前述の自分本位の行為にあたると考えます)。
なので、あなたの「したい」気持ちに、性欲処理だけではなく大切な愛情表現や親愛が込められているのならば、同様にパートナーにとっての「したくない」にも色々なメッセージが込められているはずなのです。
仕事や家庭の状況、体調の変化で身体的な負担がかかっていて性愛に手が伸びないのかもしれません。もしくは自信のなさ、自己肯定感の低さからある意味自分をさらけ出すことである行為を避けたくなってしまっているのかもしれません。
理由は、ベッドの内外どちらにもあることが考えられます。
行為はコミュニケーションの方法のひとつなので、ほかのコミュニケーションによる信頼感の増減にも影響されることは大いにあります。
とはいえ、誘った際にあまり何度も断られてしまう、断られなくてても気持ちが感じられないことはショックで、とても悲しいものですよね。
方法のひとつとはいえ、愛情表現としての行為を否定されると、自分の愛情も否定されたような気になってしまうことがあります。
僕も「したい側」で彼女とのタイミングが合わなくなってしまったとき、そう感じて傷ついてしまい、実際に傷ついたと正直に言ったこともありました。
あなたが傷ついたことも伝えながら、「したくない側」であるお相手の理由にも耳を傾けてみましょう。
したくない理由はひとりひとり異なるから、もしかしたらあなたにとって些細なことかもしれません。しかしそれは本人にとってはとても大きな障害になっていることがあります。
どうかどちらか一方だけではなくお互いにとって折り合いのよい着地点を探ってほしいです。