どんなセクシュアリティでジェンダーか?
2015年に渋谷区にてパートナーシップ制度(体の性が同性同士のカップルを婚姻に相当する関係と認め証明書を発行する制度)が施行されて以降、以前よりも多くのLGBTQ+当事者の有名人やインフルエンサーがメディアに登場しました。
彼らはセクシュアリティやジェンダーを公にして活動していますが、メディア側がまだ彼らの扱いに不慣れな印象を覚えることが多々あります。
LGBTQ+当事者を取り巻く問題や政治家、著名人による当事者への失言が取り沙汰された際に、当事者のインフルエンサーなどへ意見を求めるときに特に感じます。
先ほど例に挙げたトランスジェンダーのかたのトイレ利用の問題について、当事者のインフルエンサーへコメントを求めていたメディアで当事者は、「自分と同じセクシュアリティのコミュニティでは身体の性に合わせたトイレの利用について困ったという声は一切聞かない」と回答していました。
当事者以外のかたからすれば「LGBTQ+当事者ですらもはトランスジェンダーへ配慮したトイレは不要だと考えている」と受け取られる可能性があると思いますし、当時それを取り上げ「○○さんはトランスジェンダーに配慮したトイレは不要だと言っていた」と解釈する意見も見受けられました。
その意見を見ていて筆者は、「自分と同じセクシュアリティのコミュニティでは身体の性に合わせたトイレの利用について困ったという声は一切聞かない」というのは極めて当たり前の意見だと思いました。
なぜなら発言をした当事者は、前述の心の性別と身体の性別が一致しているシスジェンダーである同性愛者の当事者だったからです。
心の性別と身体の性別が一致している人が身体の性別に合わせたトイレを利用することに違和感がないと言われても、「そうだろうな」と思います。
むしろ質問をしたメディアに対し、なぜこのセクシュアリティとジェンダーの人にこの質問をしたのだろうと感じました。
メディア側が質問の性質と、回答する当事者がどういったセクシュアリティでジェンダーなのかを理解していない、「LGBTQ+当事者ならどのセクシュアリティの人に質問をしてもみんな一緒だろう」なんて思っていたのではと邪推してしまいました。
楽しいバラエティの現場ではなく、シリアスな場面での当事者の扱いが不慣れだったのかもしれません。
もしも理解していて「トランスジェンダーのかたへ配慮したトイレの設置は不要」という答えを引き出すためだったならば、あまりにもマスコミ的であり本当の意味で当事者に寄り添うものではなかったと感じます。
こと歌舞伎町タワーに設置された“ジェンダーレストイレ”に関しては、たしかに当事者としても反対したくなる仕様にはなってしまっています。
しかし、いわゆる「みんなのトイレ」を増やすなど別の対策をするべきであって、そこに関しては当事者から見ても不要だとはけして思いません。
「LGBTQ+」は、一括りにするにはあまりにも幅広い
「当事者の声を鵜呑みにするな」と言っているわけではありません。
筆者としても当事者ひとりひとりの声はマジョリティにいるかたがたへ届いてほしい。ただ、情報が過渡期にあるいま、一歩立ち止まってひとりの当事者の声として考え、受け止めることも必要だと思うのです。
テレビのワイドショーなどを観ているときに専門家による発言なのか、コメンテーターのタレントによるものなのかで受け取り方を自然と変えているかたは多いと思います。
それと同じように、LGBTQ+当事者といえど自分が該当しているセクシュアリティやジェンダーの話題なのか、該当していないセクシュアリティやジェンダーの話題なのかで受け取り方は違っていいと思います。
もちろんLGBTQ+当事者全体にかかる話題もあると思うので、その点の見極めも必要です。
すぐに実践することは難しいかもしれません。そんなときは、「LGBTQ+は一括りにするにはあまりにも幅広い」ことだけでも覚えていただき、身近な当事者の言葉は“当事者”ではなく“親しい○○さんの言葉”として受け取ってもらえたらいいなと思います。
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