自分で自分を選ぶこと
ケイはそのまま派遣先を退職し、なんとタタン・ランジュに販売員として入社、彼氏をとても驚かせてしまいました。
一見勢いに任せた行動に見えますが、彼女にとってはそうではありません。
柳によって出会った下着を纏った際、彼女は「何かを選ぶことは自分の人生の舵をきっていくことに繋がる」と感じました。
その日の内に履歴書を持参し再来店をしたことは、それに基づいたケイの心の軸に沿った行動なのです。
下着を選ぶことで自分自身と向き合っているのは、ケイだけではありません。
作中には彼女の入社後、さまざまな状況にある顧客が来店します。
40年前の思い出のドレスに再び袖を通したい高齢の女性、出産育児で体型が変化したお母さん、娘にとって初めてのブラジャーの購入に訪れた母娘…。
彼女たちのエピソードではそれぞれが各話の主人公になり、自分の置かれている状況や心境を吐露し下着を選ぶという体験を通してそれらをいい方向に持っていこうと考えています。
そんな彼女たちを通して、ケイも公私ともに成長しようと懸命に販売員として励むのです。
すっかり下着の世界にハマってしまったケイは、モチベーション維持のためにお気に入りのセクシーな下着を購入。
それを偶然目にしてしまった彼氏に、「似合わないそんな下着」「俺はそういうの好きじゃない」と言い放たれてしまいます。ケイはほかでもない、自分のためにその下着を選んだのに。
作中でも語られますが、セクシーな下着をパートナーのために見つけることは往々にしてあることで、なにもおかしくはありません。
しかし、パートナーではなく自分のためにセクシーな下着を選んでもいいのです。
大切なのは、誰かのためであっても自分のためであっても、それを「自分で選ぶこと」。
タタン・ランジュに初めて足を踏み入れたとき、ケイは派手な下着を前に「これは勝負下着だ」と思ってしまいましたが、派手だからと言ってパートナーとのベッドシーンのためだけに選ぶものではないことはケイ自身も気づきます。
ケイは、「これは自分のための下着だ!」と声を大きくし、彼に反論しました。周囲の意見にのまれず、反論できたことは彼女が人生の舵を自分でとっていくための大きな一歩でした。
レースの下着は誰のため?
セクシーな下着を見て「これは勝負下着だ」と勝手に考えてしまったことが、僕にもあります。
足を運んだアウトレットモールで付き添いで入店した下着店に、レースでできたメンズの下着のコーナーがありました。
下着店は女性用で有名なメーカーの専門店だったので、男性用があることにも驚いたと同時に、「こんなセクシーな下着、どんな男性が履くの?」と少し奇異な目で見てしまったのです。
実は本作には、女性用の下着だけではなくメンズ用の下着…しかも僕が奇異な目で見てしまったレースの下着も登場します。
その話の主人公は子どものころから美しいものが好きだった男性で、ケイに「男性も下着を楽しんでいい」と話すエピソードにハッとさせられました。
そして同時に、メンズ用のレース製の下着のことが急に気になりました。ずっとレースの下着は女性のための物だと思ってたし、着用した際にフワフワと肌に擦れる感覚が得意ではありませんでした。
女性用のレース下着も男性用のボクサーパンツも着用してきた自分が、男性用のレース下着を履いたらどう感じるのだろう。そんな好奇心に駆られ、気づいたらファッション通販サイトで注文を終えていました。
受け取りまでの間も楽しみでソワソワし、到着した日の晩にすぐ履いてみることに。
グレーのレース製のボクサーパンツはレース部分も思っていたよりも伸縮性があり、レースに使われている糸も強い印象。履いてみるとセクシーではあるものの思ったよりもいやらしさはなく、抵抗感もありませんでした。
パートナーに履いたところを見せてみると、やはり思っていたよりもいやらしさはなく、ヘルシーで綺麗な印象が強い。女性用の下着のレースに感じていたこそばゆい感じもありません。
翌日仕事着にしているテーパードを履くときも滑りがよく、一日通してとても快適な履き心地で。
夏場に愛用している通気性に特化したメッシュ地の下着の上位互換。納得できる機能性と履き心地に、すっかり興味があるどころかレース製のメンズ下着を好きになってしまっていました。
そんなとき、偶然友人たちとの飲み会で下着の話題に。僕は迷わず上記のレース製のメンズ下着を履いていることを話しました。
前々からメンズ下着を着用していることは話していましたが、多少驚かれるかなぁ程度に考えていたのですが…。
「それって履いた感じどうなの?」と純粋に感想を求められ、思っていたよりもいやらしさがないことや、とても機能的であることを語りました。
純粋にいい製品をいいものだったと伝えたかったのですが、それを聞いたうえで友人のひとりが「今度また一緒にスパに行くときに、そのエッチなパンツ穿いてきてよ!」と。
彼女の言葉に悪意や悪気がないことは長い付き合いのなかで感じとってはいるものの、咄嗟になんと返していいのか戸惑ってしまいました。
「友人とはいえそれはセクハラでは?」ということを一旦横に置いても、なぜ「エッチなパンツ」と貶されてなおかつそれを友人のために穿かなければならないのでしょう。自ら「今度穿いていく!」と言ったのならばまだしも。
パートナーのためにセクシーな下着を穿くことがないわけではありませんが、前述の通り大切なのは僕がそれを自分で選択するということ。
僕は友人のためにこの下着を選んで購入したわけではないし、これからも友人のために選んで穿くことはないでしょう。
ケイの言葉を借りるのならば、自分のために選んだ下着をなぜほかの誰かのものさしで測られなければならないのか…。
友人の言葉にショックを受けてしまった理由はもうひとつ。
かつての僕も下着店で見かけた男性用のレース下着に対し「こんなセクシーな下着、どんな男性が履くの?」と、からかいともとれる感情を持っていたことへの罪悪感を浮き彫りにさせられたことでした。
僕は友人からの言葉にショックを受けたけれど、僕が感じていたものもさして変わらないのではないか。友人の言葉を介し、自分が持っていた感覚は向けられた人にとってこんなにもショックなものだったのかと思い知らされたことで、二重のショックを受けていました。
その場ではお酒の勢いで「君は下着のことを軽んじているー!」と言い返したし、結果ケンカ別れになるようなことにもなっていません。
単純に下着に対する価値観がお互い異なるだけで、友人であることに違いはありません。
ただ、もしこれが下着ではなく映画やマンガなどのコンテンツや趣味の話だったら、果たして友人は僕が気に入っているものに同じように軽口を叩いたでしょうか。
下着が身近な物だからこそ、軽んじてもいいと感じてしまうのかもしれません。
さいごに
初めて柳のフィッティングを受けた際のケイは、運命の下着に出会った際柳に「とってもエレガント」と言われます。
下着だけでなく、普段服を選ぶとき、誰かに「エレガントだ」と言われることってきっとあまりないと思います。
エレガントって誉め言葉としてとても強い言葉に感じられて、そんな強い誉め言葉を受け取るのって人によっては勇気も必要で。
ファッションの場合でもあまりにかっこいい服やコーディネートに、「これはカッコよすぎる」「可愛すぎて」と敬遠してしまう人も珍しくないのではないのでしょうか。
それらを敬遠するとき、本当は服や下着そのものではなく「そんな下着いつ着けるの?」「そんな格好いいの着ちゃって」「そんな若作りして」といったからかいにも似た言葉を避けているように感じます。
だからエレガントな下着や服は、かっこよくしていることを避けている人の手の届かないところに遠ざかってしまう。
だけど「そんな」人たちのために、下着も服も選んでいない。たとえ「そんな」言葉を向けられたとしても、僕やあなたの価値は損なわれない。
友人に何を言われても、レース製のメンズ下着を選び身につける僕はきっとエレガントだから。
作中で彼氏が呟いた「たかが下着」というひと言、ケイやこの作品にきっかけをもらった読み手にとっては「されど下着」なんです。
誰に何と言われても、大事にしていい。きっとそれは自分を大事にすることにも繋がるから。
僕がそうであったように、「ランジェリー・ブルース」は誰かの下着選びと自分や自分が何が好きで何が好きではないのかを見つめ直すきっかけになるでしょう。自分の人生の舵を切っていく主人公のケイにも元気をもらえるはずです。
『ランジェリー・ブルース』、ぜひご一読ください。
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