20歳年上の夫と、マイペース高1息子と暮らすアラフィフ主婦、塩辛いか乃です。
以前、「所得制限なしで私立高校無償化を実施する」というのが話題になっていました。
私立高校無償化に関しては大阪府が積極的に進めていた印象だけれど、東京もこういうときは動きがいいよな、なんて思いながら見ていたのだけれど、その後の住民インタビューを見て驚きました。
東京都と多摩川を挟んで向かいにある川崎市民だという中年男性が「うちはすぐそこが東京都なのに、東京だけ無償化なんてズルい」とを言っていたのです。
私立高校無償化に伴い県境が変わるならまだしも、大の大人が東京とはいえいち自治体の政策に対して「ズルい」と言えてしまう感覚についていささか驚いて目が覚めてしまいました。
別に東京都が神奈川県を出し抜いたわけでもあるまいし、小学生でも思いつかないような発想を堂々とテレビに向かってコメントしている姿を見て「これじゃあ子どもに夢を持てなんて言えないなぁ」と感想を抱きながらも、その方のインパクトが強すぎて私立高校無償化について気になってきてしまいました。なので、今回はそのことについてお話します。
子育てしにくい国、日本。
そもそも高校には私立と公立があり、当然公立高校は学費が安い設定です。
そして、私立高校はそれぞれの理念で特色ある教育をしています。私的機関のため、学費もしっかりと取られるのは当然。
都内で言うと公立は年間12万円、私立は48万円。私立は入学金もいるし、制服もやけに高級だったり靴や体操着も学校指定のものが多いので、実際もっとかかるかなという感覚です。
中学生以上の子どもを持つ親なら気づくのだけど、それ以外の人は気づきにくいひとつのポイントがあります。
公立と私立があるなら「お金がないなら、公立高校に行けばいいじゃない」と思うでしょうが、そうは問屋が卸しません。
高校受験は大学受験と違って「浪人」という概念がありません。要は、「落ちられない」受験なのです。
高校は義務教育ではないとはいえ、進学率は94%を超えます。さらに就職も最低でも「高卒以上」というところがかなり多い。そのため「実質義務教育みたいなもの」なのです。
そして、公立の学校というのは基本的に1校しか受験できません。
落ちたら高校生になれないのは困るので、受け皿となる私立高校を受験するのが通常。
わたしが住む神奈川県では、私立高校がはっきりと公立高校の受け皿役となっており、「確約制度」みたいなものが存在します。
もし公立に落ちたら必ずやそちらに行きますという確約のうえで、私立が内定合格を出すという制度。
倍率が存在する以上、必ず公立に落ちる生徒は出るわけで、その生徒たちが私立に集まります。
私立も生徒数がいないと資金繰りに困るわけで、大人の事情でなんとなくうまく回っている制度なわけで…。
残念ながら、公立の合否は経済力に比例しません。うちはお金がないから公立に、と勉強を頑張ったところで、落ちるときは落ちる。
そんなときに、経済的事情から高校進学をあきらめるのはあまりに不憫ではないか?という話なんですよね。
それで、所得制限をつけて私立高校への進学もしやすくしましょうという施策が進んでいるのですが、ここにきて東京都は所得制限撤廃。
誰にでもばらまくわけにはいかないので所得制限を設けるという考えは一見公平で正しく見えるのですが、なんだかんだで給料は上がらないのに物価が上がり、なんでもかんでも所得制限。
低収入の人の保証は手厚くなるのに、所得制限に引っかかって補助を受けられない人はすべて自己負担。
そんな状況で実は最近、そこそこ所得があって所得制限にギリギリ引っかかってる人まで生活が苦しくなってしまっている状況があると言います。
「貧乏な人がかわいそうだから」「不平等だから」という理屈で作った制度が、逆にそこそこ所得のある人の負担になってしまっているよね、というところからの発想で、これに関しては平均収入が高めの東京だからこそ結構ちゃんと見てくれてるなと思ったポイントです。
誰かから見た平等は、ほかの誰かから見ると不平等。そんなこと言っていたらきりがないし、そのときの時流に合わせて救えるものをどんどん救って行こうぜという東京都の動きのよさはさすがだなぁと思います。
だけど賛成する人がいれば必ず反対する人がいるわけで、反対する側の意見がもう論理崩壊していて萎えてしまいます。もう、どうせーっちゅうねん。
大阪府での私立高校無償化では、近隣の奈良とか京都とかの私立高校の組合が「大阪だけやるなんて不公平だ」と反対してみたり、冒頭で見た「川の向こうは東京なのに神奈川は適用にならないなんて不公平だ」と言ってみたり。
東京大阪が私立高校無償化を一歩先に進めている背景には、「都会には私立学校が多い」という事実もあります。
東京の私立高校進学率は全体の50%を超えています。そもそも私立が多いし、偏差値が高いとか、特色ある教育があるなんて私立も多い。
田舎は私立高校自体が少ないから、そもそも進学する確率も低いわけで、80%くらいが公立に進学することも珍しくありません。決して都会だから早くやってずるいとか短絡的に言えるものでもないのよなぁと思います。
そのニュースだけ聞けば「なんだよ東京大阪ばっかり」と思うかもしれないけど、そこに至るまでのそれなりの背景っていうのもあるかもしれないと考えてみることも必要なんじゃないかと思います。
日本の子育てのしにくさって、金銭的な部分だけじゃないんだけど、それでも金銭的な補助自体はわかりやすくてそれはそれで助かるもの。
手のつけやすいところから援助をするという意味ではいいんじゃないかと。
いまひとつ世の中に希望の持てないなかでも、なんとか子どもを高校まで出せるように…と考慮され、無償化された施策はいいことだと思うのだけれど、それと並行して、高校生の扶養控除額が減額されるというニュースも入り、相変わらず子育て家庭にはシビアだなと感じざるを得ない。
ほんっと子育てしにくいですよ、日本。
子育てしにくいといえば、こういう子育て関連の補助が出るというニュースが出ると必ず出る不平不満が「うちは子どもがいないのに育児補助ばかりに税金を使われるのは不公平だ」という意見。
これはいつも聞き苦しいと思ってしまうのですが…ねぇみんな自分のことしか考えてないの?子どもって自分の家にいるかどうかじゃなくて、未来をつくる存在でしょ。自分の家に子どもがいようがいまいが、未来の政治を担うのはいまの子どもだよ。もう少し広い目で見てもらえないもんかねぇ。
日本は識字率も高くて、教育指数も高いはずなのに、「自分の責任逃れ」だけを教えているような気がしてなりませんわ。
子どもを育てている身からすると、子育てとか少子化対策ってお金の補助だけじゃないなと思います。
そもそもなんでもかんでも母親の責任にする国の風潮だったり、子連れが迷惑がられる社会構造だったりと、そもそも小さい子を連れているだけで肩身が狭くなるその「空気感」が一番の少子化の要因だと思います。
「うちは子どもがいないから不公平」とか言ってる声もそのうちのひとつ。世の中にとって助けたほうがいいものを助けているのに、どこからか「不公平」の声が聞こえてきて、足を引っ張る。何かにつけて「不公平だ」という意見で物事が進まなくなる。
日本は昔から「横並び」「周りと一緒」であることを重視してきて、そこからはみ出すことは良しとされなかった風潮があるので致し方ないのかもしれません。
だけどその「不公平」という視点で、救われるべき人が救われなくなる。そうやってじりじりと停滞するから、自分も救われないのじゃないかしら。
こうやって変化を嫌う体質が、いまのような「なんだか日本が遅れている」感じになってしまっているような気がするきょうこのごろ。
この日本は「平等でなくてはいけない」という病にかかっているのかもしれませんね。
- image by:Shutterstock
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。