20歳年上の夫とマイペース高1息子と暮らすアラフィフ主婦ライター、塩辛いか乃です。
よく「結婚はゴールじゃない」と言われますが、出産に関しても同じことが言えます。
人間、なんでも経験してみないとわからないもので、頭では「そうなんだぁ」と思っていても実際に経験すると全然思ったのと違った!なんてことだらけで。
妊娠したときに思い浮かぶのは「子どもを無事に産む」というゴールですが、もちろん出産はゴールではありません。
気が遠くなるほど長く、そして途中で降りることのできないロングマラソンのスタートなのです。
妊娠中は脳内物質のせいか、ルンルンで脳内がお花畑。自分の子どもはオムツのCMに出てくるような目がぱっちりして笑うと天使のようなきゅるんきゅるんの子に違いないと思っている節があります。
つわりや体重増加、むくみなど妊娠中もあれこれ大変ではありますが、脳内妄想を楽しめる期間でもあります。
だからこそ不当に高額な赤ちゃんグッズが売れてしまったりするわけです。
わたしもきゅるんきゅるんの赤ちゃんを想像して、オーガニックコットンでベストを手編みしてみたり、オーガニックコットンのダブルガーゼで新生児の産着をつくったり、お腹の赤ちゃんに話しかけるためのアイテム(ただの管)を買ってみたりと、それはもうお花畑全開でした。
出産も出産で、以前の記事で書いた通り、緊急帝王切開となり大変でしたが、それは瞬間風速的な大変さ。やっぱり本番は「産んだ後から」なのです。
そのスタートは、「不眠不休の授乳」からでした。
特にわたしがお世話になった病院は「母乳育児」を強化しており、母乳指導がものすごく厳しかったのです。
今回はその、スパルタ母乳指導についてお話しします。
母乳でも、ミルクでも。
その前にまず触れておきたいのは、この記事は「母乳育児」を推奨もしくは反対するものではないということ。
日本は特に「母の役割」が多い国なので、「母乳で育てるべき」的な価値観が強い方も多くいらっしゃると思いますが、それはそれ。
あくまでわたしの体験と、それを通じて感じたことをお伝えします。
ちなみにわたしは完全ミルク育ち。なぜなら母の胸は陥没乳頭といって、赤ちゃんが咥えるべき乳首が埋まってしまっていて、形状的にムリだったそうなのです。
わたしが生まれた昭和の時代は、いまよりもっと母乳推奨だったし、母もなんとか母乳を飲ませたいと病院の先生におっぱいをグリグリされながら頑張ったそうなのですが、一滴しか出なかったそうです。
そんなわけで完全ミルクで育ったわたし。けれど別に当時なんて記憶にもないので、「母乳を飲みたかった」とかも思わないし、母乳で免疫がつくとか聞きますが、完全ミルク育ちでも大きな病気をしないでここまで来たので、正直母乳育児にこだわりはゼロでした。
なんでも形から入るタイプなので「たまごクラブ」のような情報誌を買って出産の心得などを読んでいましたが、そこに出てくる母乳とかミルクの話もあまりピンとこず、「出るなら出たで楽そうだし、まぁ母乳で」と適当に考えていたと思います。
逆にひとりで出かけるときにはミルク作って預けて行けばいいかなぁ、とかも思っていました。
そんな感じで母乳かどうかなんて気にも留めないまま、緊急帝王切開で出産。
この病院では普通分娩の場合は出産直後から母子同室となり、そこから休む間もなく育児がスタートします。
わたしの場合は手術をしているので、まる1日は寝たきり。その間子どもは新生児室で預かってもらっていました。
生まれたてのホヤホヤが見たかったのに、当時まだビデオカメラも持っていなかったので、生まれたての息子は写真でしか残っていません。
しかも夫がピンぼけで撮ったやつ。残念。
わたしの場合は腹のなかから出てきた息子を早く見たいという気持ちでワクワクしながらスタートでしたが、現実はなかなか大変でした。
まずは腹をざっくり切られた後、傷も癒えない状態のまま立って歩くという苦行から。
スパルタ母乳指導
病院の廊下を死ぬ気で歩き、やっと息子を抱いた感動に浸る暇もなく、新生児のお世話指導が始まります。
同じ人間とはいえ、新生児はお世話なしでは生きられないふにゃふにゃな生命体。首が座らずグラグラしている赤ん坊の抱っこの仕方、おむつの変え方、沐浴のさせ方などひととおり実践で覚えます。
そのあとは母乳指導。まず母乳の出る仕組みから説明がありました。
わたし自身、妊娠中から母乳を出すべく身体が準備しているような感覚はあり、異常に胸が大きくなったり、乳首が黒ずんだり。アピールツールとしての「おっぱい」ではなく、「母乳出す道具」に変化していく感じ。
そうやって身体が準備をしたのに加え、いざ出産後。
赤ちゃんがおっぱいを吸う刺激を母が感知して、それが脳内に伝達され、そこから出るホルモンによって母乳が作られるそうなのです。
だからまずは「出なくてもとにかくくわえさせること」と指導を受けました。その刺激で自分の身体が「母乳を作らねば」と反応するそうなのです。
なので最初にやることは、赤ちゃんの平均的な睡眠時間、2時間に合わせて、昼夜問わず2時間おきに赤ちゃんにおっぱいを咥えさせるミッションでした。
これが、まぁ面倒くさい。ただでさえ破水してから出産までで疲れ果て、そのあと手術で高熱を出し、傷の痛みに耐えながらおむつを替えているのに、ガッツリ寝られないというのはなかなかしんどいです。
病院なので家事をする必要もなく、そういう意味では気楽でしたが…。
病院からは授乳した時刻を書き込む表を渡され、あとからチェックされます。
ちなみにこちらの病院では「2時間おき」と決められていたので、赤ちゃんが眠っていてもたたき起こしておっぱいを咥えさせる必要がありました。
けれどわたしはそこまでする必要があるのか正直疑問でした。赤ちゃんだって、お腹がすけば泣くでしょうに。
その平均間隔が2時間というだけで、1時間の子もいれば3時間の子もいるのだから、子ども側の欲求に合わせればいいんじゃないかと思ったのですが、そこはとにかく「まずは2時間間隔を厳守」だそうで。
赤ちゃんは起きたら泣きます。そうしたらわたしも起きてお世話をしなくてはいけないので、赤ちゃんが寝ている間はできるだけ寝ていたい。
息子は割とよく寝るほうで、寝てしまえば3時間以上寝てくれたので「しめしめ」と思い、自分も寝て、表は後から適当につけておこうと思っていました。…ですが、それは甘かった!
昼間は看護師さんもほかの業務で忙しいのでチェックが甘めでしたが、夜中になると2時間おきの「母乳パトロール隊」が出動するのです。
わたしが出産した病院は個室が2部屋しかなく、あとは全員大部屋でした。
なのでパトロールもしやすいのか、きっちり2時間おきに「おっぱいどうですかー?」と回ってきます。
「あ、いまあげようと思っていました」とごまかしつつ、看護師さんが去ったら起きるまで放置しようと目論んでいると、看護師さんはその場で息子を抱き上げ、トントンと叩いて起こしてしまうのです。
寝ていたのにわけわからんと眠そうな息子におっぱいを押し付け口にくわえさせる。けれど息子は眠いのでとりあえず咥えるけど吸わない。
現在16歳の息子を見ていて、勉強でも思うことですが、やっぱり本人にやる気がないとなかなかやらないものです。
意味あるのかなぁと思いつつ、母乳パトロール隊に起こされながら乳首を咥えさせるも、わたしの母乳は出る気配がありません。なので、昼間はおっぱいマッサージの特別指導が入ります。
産後の胸って乳腺が発達していて結構痛いんですけど、それをグリグリやるのって結構きついんですよね。
母乳は出てほしいけれど、痛いものは痛い。それで母乳が出ないまま2日ほど経ったとき、看護師さんから呼び出しを食らいました。
その看護師さんはパトロール時にもうえから目線で感じが悪く、夜中にイラっとしたりしていたので「なんだよ」と思いながら行くと、「母乳マッサージの効果が薄いようだからわたしがマッサージします」とのこと。
嫌な予感がしましたが、とりあえず仕方ない。ただわたし自身、母乳にこだわりがないので、無茶なことをされるようなら断ろうと思っていました。
さっそく感じ悪い看護師の母乳マッサージスタート。さすが感じが悪いだけあって、他人のデリケートな胸をやりたい放題にぐねぐね掴みます。乳首にも刺激を、といってつねりまわすし。こっちはもう悲鳴もの。
最初は我慢していましたが、痛さに耐えきれず「ここまでしなくちゃいけないなら、母乳出なくていいです!ミルクにします!」とブチギレ。
看護師さんは「根性ないわね」的な顔をしながら、「じゃあきょうはここまでにしましょう」と解放されましたが、わたしのはらわたは煮えくり返っていました。
もう二度とアンタには頼まない。「ひどい看護師がいる」とクレーム入れてやる!と心に誓っていました。
母乳マッサージ後もずっと掴まれまくった胸がズキズキ、ひりひりと痛んで夜も眠れないほどでした。
胸があまりの刺激にびっくりしたような感じで、熱くほてっています。マグマがグツグツしているような感覚で、これでわたしに何かあったらあの看護師さんを訴えてやる!と思うくらいの痛みでした。