子どものことや家庭のこと、身近な話題で盛り上がることができるのがママ友のいいところ。
一方で、心理的な距離が近すぎると自分の問題に平気で相手を巻き込んだり、逆におかしな要求を当たり前にされたりしてストレスを感じることもあります。
仲良しであっても、それぞれの事情は別。身近なママ友に振り回されそうになったときはどうすればいいのか、ある女性のケースをご紹介します。
子ども同士のトラブルから
康代さん(仮名/30代)には、お子さんの通う小学校のPTAで知り合い、仲良くなったママ友のAさんがいます。
明るくて気さくに話せるそのママ友とは、性格が似ていることもあって連絡を取り合う頻度が高かったそうです。
「PTAの役割も前向きにこなしていてすごいなと思ったのですが、気になったのがメンバーの保護者さんにちょっと命令する感じでものを言うときがあって。みんなの意見を聞かないので、『待って』と言ったこともあります」
康代さんはそう振り返り、Aさんが少し暴走気味なところもあることは把握していたと言います。
そのAさんのお子さんが同じクラスの児童と喧嘩になり、双方の保護者で話し合う事態になったとき。AさんからすぐLINEでメッセージが飛んできたそうです。
「クラスでも有名なやんちゃな子に突き飛ばされて、うちの子は被害者なんだけど」とAさんは言っていたそうですが、その話し合いは悪い結果に終わり…。
「『相手の母親が泣き出して全然話にならなかった』とかなり怒っていましたね。ふたりの話から、相手のお子さんが一方的に手を出したこともわかって、これについては本当にAさんのお子さんは被害者だと思いました。
でも、先生に言われて渋々謝罪したらしく、納得していない様子でしたね」
そのときは、Aさんからは電話がかかってきて愚痴に付き合ったそうです。
「この親子は反省していない」と感じたAさんから、担任の先生に今後この児童について「監視」をお願いした話を聞いたのはそのすぐ後のこと。
「ほかの子ともトラブルを起こしているようで、『クラスのためにお願いした』とAさんは言っていました。気持ちはわかるけど、さすがにひとりの児童を監視っていうのは、学校はできないだろうなと思いましたね」
言われなくても注視はするはずと康代さんは思ったそうですが、Aさんは「またうちの子がやられるかも」とそればかり気にしていたそうで、実際にその子からの接触は止まなかったそうです。
そのころは、Aさんから届くLINEのメッセージはほとんどその話題一色になり、ほかの話を振ってもすぐ戻されて「ひどくない?」と同意を求められることが、康代さんにはストレスでした。
思い詰めていくママ友
「もし自分の子が同じ目にあったら、私もこうなるかもとは正直思いました。知らないところで子どもが嫌な思いをさせられているって、やっぱり耐えられないですからね…。でも、学校に特別な監視を求めるのはさすがに行き過ぎだなと思って、『あまり言い過ぎるとモンスターペアレントって思われるよ』と返信でつい送ったことがあります」
そのときは、「これでモンペって思うほうがおかしいわよ」と嫌味のような言葉が返ってきて、うんざりしながらやり取りを終えたそうです。
それでも、時間が経って大きな事件がなければ、Aさんも落ち着くだろうと康代さんは思っていました。
しかしそうはならず、問題の児童からの接触が続くようで…。
イライラが募るAさんからの連絡は、「親がそう仕向けてるのかも」「そのうち私にまで何かしてきそう」と、極端な言葉が増えていったと言います。
そうはならないよと言っても「私は当事者だから」と受け付けないAさんの様子に、康代さんは「彼女が何か事を起こすんじゃないかって、ヒヤヒヤしました」と、思い詰めていくのを心配していたそうです。
被害者意識の消えないママ友
そんなあるとき、学校で児童による音楽会が開かれることになり、保護者の参観が決まりました。
その音楽会に向けての練習が続いているときも、Aさんのお子さんが問題の児童にからかわれていたことは、日々のLINEで報告されていたそうです。
「Aさんは『先生にやめさせろとお願いするんだけど聞いてもらえない』と、嘆いていました。気持ちはわかるし、『心配だよね』と返すのですが、よく聞けば『難しくて上手に笛が吹けない』ことをみんなで話していた場面だったりして、お子さんの話をおかしく受け取ってないかって、それが気になっていました」
子どもには毎日のようにその児童との関わりを尋ねているようで、その子の悪意を前提にしたような言い方が、康代さんは疑問だったそうです。
「親が悪い」「何でうちの子が」と被害者の意識を持つのは仕方ないけれど、その後もずっと「何かされるだろう」と思い込む視野の狭さに、康代さんもだんだんと返す言葉がなくなっていきます。
音楽会について「あそこの親と顔を合わせるのが憂鬱」と書かれたメッセージ何度も届き、「同じように『気にしちゃダメだよ』とだけ返信していましたね」と、少しずつ関心を失っていったそうです。
「その音楽会の当日が大変でした」と康代さんが振り返るのは、学校で待ち合わせをしたAさんから「あそこの親に何かされるかもしれないから、警察を呼んでもらうかも」と言われて驚いたからでした。
「自分で呼ぶことも言っていましたが、私に『そのときはよろしくね』って言うので本当にびっくりして。『私が通報するの?』って思わず聞いてしまって、そうしたら『できるでしょ』って呆れた顔で言うので、カチンときましたね…」
ママ友である康代さんが自分を助けるのは当たり前という表情に、きっぱりと「巻き込まれたくない」と思い、「クラスも違うし私は自分の子に集中したいから」と断ったそうです。
その返事にはAさんは特に何も言いませんでしたが、自分の事情に平気で人を巻き込むことに、康代さんは思い込みの激しさを感じたとのこと。
「警察を呼ぶかもってことは学校にも話したとAさんは言っていて、そこまでするのが怖かったですね。相手の親に自分が何かされるかもって、考えるのはわかるけど…。ちょっとついていけないなと思いました」
いままで、我が子を心配する気持ちも、学校を責めたくなる心情も理解できるから愚痴に付き合ってきたという康代さんは、その自分を当然に利用してくるAさんに愛想が尽きたそうです。
思い込みの激しさが奪うもの
結局、Aさんとその児童の保護者との間に何か起こったような気配はなく、音楽会は問題なく終わります。
その日はAさんからのLINEのメッセージはなかったと話す康代さんは、「自分のために動かない私を見て嫌になったのなら、そのほうがマシだと思いましたね。あの呆れたような顔が忘れられません」と、Aさんにとっての自分の軽さを考えていました。
どんな問題であれ、自分の事情に身近な人を一方的に巻き込んでもいいということはなく、自分の要求が通じない相手を軽んじるのは、自己中心的と言えます。
思い込みの激しさは現実をまともに受け止める力を奪い、人に対しても対等と尊重を失う自分に気がつきません。
縁の続いていた康代さんが離れていくことになったのは、誰でもなくAさん自身が引き起こした顛末。
自分の振る舞いで失った信頼はなかなか戻らないことを、今後Aさんが知る機会があるのかどうかはわかりません。
「スマホが鳴らなくなってほっとしています」と、康代さんはいまの自分の現実を受け入れています。
- image by:Shutterstock
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。