250,00048歳から独学でカメラを始め、YouTubeにて過去の体験記とともに遊廓の歴史を紹介しながら「色街写真家」として活躍する紅子(べにこ)さん。初めは、偶然として遊廓の歴史を知らないうちに街並みの写真を撮り始めたのがきっかけと語る紅子さんは、いままでのキャリアとは全く違った写真家としての道を歩んでいます。
今回のインタビューでは、元風俗嬢から写真家へのキャリアチェンジについて、そして新しいことを始めたいと思う人たちへ伝えたいことを聞いてみました。
独学でカメラを始め、色街写真家になったきっかけとは
ー最初のキャリアを風俗嬢としてスタートし、現在は色街写真家としてご活躍されている紅子さんですが、いつから写真を撮り始めたのでしょうか?
紅子さん(以下、紅子):19歳のときに風俗で働き始めました。32歳くらいまでいろんなお店を点々としていて、最後は東京・吉原で働いていました。風俗を卒業してからは、結婚して子どもが産まれましたが1歳のころに離婚し、何とか事務のパート職に就くことができ細々と暮らしていましたね。
子どもが成長して少しずつ自分の時間ができてきたときに、もともと趣味だった街歩きをしていて、気になった場所をスマホで撮影していたんです。その写真をインスタグラムにアップしていたことが、いまの活動のきっかけです。
ースナックの裏通りとか、どこか懐かしい風情がありますよね。例えばどんな場所がありますか?
紅子:そういった場所を歩いていたとき、ふと裏通りの歴史が気になって調べ始めたんです。インスタへアップする際に、実はこの場所にはこういう歴史があったということもコメントを付けて紹介していました。
例えば、静岡の熱海とかですね。熱海の繁華街として知られる中央町の歴史を調べると、赤線地帯の跡地ということがわかってきました。そんな感じで気になる場所の歴史を調べると、「遊廓からの流れを汲む場所」ということが分かってきて。たまたま私が撮っている場所は、かつて自分が働いていた世界だったんです。
ー初めから色街を撮ろうと思っていたのではなく、偶然その場所だったのですね。
紅子:そうですね。もともと風俗をやったきっかけっていうのが、小さいころに読み書きがあまりできなくて、学校も行ってたけど何もできなかったからなんです。本当にできることが少なくて、そのなかで出会ったのが風俗という仕事でした。
なので、どうやったら一般的な場所で働けるんだろうみたいな。世間で働く人たちを羨ましく感じていました。なんで私がここにいるんだろうという気持ちで働いていたら疲れてしまって、30代のときに卒業しました。
ー子育てをしながら事務職で働いていたとおっしゃっていましたが、キャリアチェンジをした当時はどのような心境でしたか?
紅子:風俗を卒業したあと、最初に働いたのは友人が経営している大人のグッズを売るお店でした。当時はアルバイトだったのですが、やっと日の当たる場所で働けたという気持ちが大きかったですね。そこから事務職へ転職しました。でも、とてもじゃないけどいままでの職業は人に言えるものではないし、シングルマザーになって子育てをしながらも、周りの人には過去を隠してきてきました。
地道に暮らしていたわけなんですけれども、そんななかで事務の仕事をしているときですかね。「このままでいいのか」と思うときがありました。
ー「このままでいいのか」というのは?
紅子:「このまま人生が終わってしまうのかな」という気持ちになりました。自分にできる表現手段で、何かを残していけたらいいなと思い始めてきたんです。ただ、40代後半で写真家になろうなんて夢のようなことは全く思っていませんでした。
それでもいろんな街には遊廓という文化が実際にあって、そこは自分がかつて働いていた場所であり、歴史を作ってきた。それをどうやって伝えていこうか考えていたときに、写真という手段が一番伝わりやすいと思いました。最初はスマホで撮っているだけでしたが、ちゃんと一眼レフカメラで撮らなければいけないんじゃないかみたいな気持ちも湧いてきて。
そのころ、インスタに写真をアップしていくなかで、いろんな人からコメントをもらえるようになりました。そのときに「どんなカメラを使っているんですか?」とか聞かれるんですよね。でも当時はスマホだけだったので(笑)。
一眼レフでどんな写真が撮れるかわからなかったんですけど、とりあえず買ってみようと思ってカメラを購入しました。半年くらいはカメラの使い方をYouTubeで調べたりして、ようやくレンズを変えたことで違いがわかったというか、こんなにスマホと違うんだと思いながら、少しずつですが使いこなせるようになっていきました。
ー独学でカメラを始めて、いまでこそ写真だけでなくYouTubeでも発信をしている紅子さんですが、少しずつ色街写真家としての一歩を踏み出していったのですね。
紅子:本当にいまでも「写真家」なんて自分でいうのも恥ずかしいというか、ただ肩書きとして名乗り始めました。初めて会った人に「元吉原風俗嬢の紅子です」っていうと混乱するじゃないですか(笑)。「色街写真家として活動しているものです」ということで、相手に分かりやすく伝えるために、色街写真家を名乗り始めました。
ー前置きの説明も長くなっちゃいますもんね(笑)。紅子さんはいつもどんな写真を撮ることが多いですか?
紅子:基本的には風俗街というか、遊廓とか赤線の跡地が多いですね。そういった場所はいかがわしいと思われたり、敬遠されるような場所だったりするんですけど、歴史があっていまの成り立ちがあるということを、写真を通して少しでも伝わればという思いで撮っています。
ーSNSを見ているとレトロでエモーショナルな街並みを撮っている人も見かけますよね。
紅子:結構いらっしゃいますよね。ただ、可愛らしいものだけではないということを、現代もこうして歴史が続いているんだということも伝えたいという意味で撮っています。
いわゆる豆タイルとかステンドグラスとか、「綺麗」「可愛い」だけで終わってしまうけど、それだけでは終わらせたくないんです。もちろん可愛いんですけど、そこだけではなくって、歴史は続いているんだ、ということを意識して撮っています。
少しでも興味あることをやってみると、もっと自由になれる
ーいままで撮った場所で印象に残っている場所はありますか?
紅子:先日、大阪にある飛田新地を取材しました。もちろんきちんと取材許可をいただいたうえで、人が映らないように撮影しています。飛田新地は撮影に対して大変厳しい場所です。そのため許可をいただくために勇気をだして、飛田会館(組合の会館)へご挨拶させていただきました。
自分が何のために撮影したいかを話すと、とても親切に館内を案内してくれたんです。普段は一般に公開されてない2階を見せてもらうと、遊廓時代に使用されていた「遊女の性病の検査場」が遺されていました。詳しく歴史も教えてくださって、ちゃんと真正面から行ったら、こんなに親切にしてもらえるのかと正直びっくりしました。でなければ、街並みの写真撮影だけで終わっていたので。飛田会館のかたたちも、やっぱり歴史を残していかなきゃという気持ちはあるんですよね。
また同じ話になりますけど、その写真とかを通して、歴史を今後の人たちにつなげていく、伝えていくっていうこと。そして、その場所にいる人たちにお話しを伺えたというのは本当に貴重な体験でした。
ー前回の個展でも遊廓時代の性病の検査場の写真を紹介していたと聞きました。みなさんの反応はいかがでしたか?
紅子:はい、個展で公開していました。写真を買ってくださった人が3名いたのですが、なかにはお医者さんもいましたね。貴重な歴史の文献として興味を持ってくださいました。
ー紅子さんは都内近郊だけでなく、さまざまな場所で撮影されていますが、とても行動力があると感じます。その原動力はどこから湧いてくるのでしょうか?
紅子:20代のころから、フットワークが軽いねとはいわれてはいました(笑)。なので、50代にして初めてやっているというよりは、20代のいろんな経験とかがあって、いまに繋がっているのかなとも思います。
ーいまでこそ色街写真家として個展を開いたり、ご自身でYouTubeを配信されていますが、誰しもキャリアを変えていくことはとても不安だと思います。その人たちの背中を押すようなアドバイスがあれば教えてください。
紅子:ようやく安定したときのキャリアチェンジというのは、すっごく不安がありますよね。どうなっていくんだろう私の人生みたいな。家賃も払わないといけないし、子どももまだ中学生だったので私自身もすごく葛藤はありました。ただ、それよりもこのまま自分の人生が終わってしまうのかなっていう気持ちが大きかったんです。じゃあどんな人生だったら、私はよかったって思うのだろうって考えました。
そのときに頭に描いたのが、例えばイラストが描けたりとか、写真が撮れたりとか、映像が作れたりとか、デザイン的なことができたりとか、そういったことができたらすごく「自由な人生」になれるのではないかなと思ったんです。
本当に何の役に立つかわからないけどっていうような思いで、Macを買って映像編集もやってみたり、iPadを買って絵を描いてみたり、一から始めていきました。もしかしたらムダなことかもしれないけど、休みの日とか会社の休憩時間とかに編集方法を調べたりとかして、そしたら道が開けてきた気がします。自分の興味があることをやってみると、いざ何かに出会ったときに花開くというか、スタートできる、キャリアチェンジできるんだなっていうのは感じています。
ー今後、色街写真家としてどのように活動していきたいですか?また、どんなことにチャレンジしていきたいですか?
紅子:写真としてはまだまだ全然撮れてない場所がたくさんあるので、これからもいろんな場所へ行って撮り続けたいと考えています。新たなチャレンジとしては、赤線や遊廓の跡地だけではなくて、「昭和の裏文化」も気になっています。ストリップ劇場とかグランドキャバレーとか、わずかにしか残っていないんです。そういった場所を許されるならば撮っていきたいですね。今後の未来につながっていくものなので。
ーー大きなキャリアチェンジを経て、さまざまな人生が交差する色街で写真を撮り続ける紅子さん。誰しもキャリアや今後の人生について悩むときがあるもの。そんなときだからこそ、自分が本当に興味のあることにチャレンジしてみる、そして少しでも可能性を広げておくと、悩みがちょっとばかり小さくなっていくかもしれませんね。
<紅子さんプロフィール>
元吉原ソープ嬢・シングルマザー・48歳から独学でカメラを始める・51歳、色街写真家/遊廓や赤線跡地の写真集「紅子の色街探訪記」出版/YouTubeにて過去の体験記と共に遊廓の歴史を紹介。各種SNS:Instagram/X/YouTube
- 取材・執筆・撮影:編集部
- 写真提供:紅子