大企業的修羅場は、閉鎖的保守的な社内の抵抗にあり
その後半ばスカウトされて転職した「日興証券(当時)」でのファイナンシャルプランニング型営業普及の新規事業は、一見すると快適そうでした。
なにしろバブル真っただ中で収益は絶好調でしたし、社長室の後押しで進められ私も意義を感じる特命プロジェクトだったからです。
しかし、現状維持でも十分に収益が出ている保守的で伝統的な大企業で、しかも毎月のおすすめ投資信託の営業ノルマに追われる現場で、新しい長期視点の営業手法を広めることは至難の技でした。
現場の営業の支店長やスタッフには、お客様のマネードクターになる新しい長期視点の営業手法が、目先のノルマ達成には役立たない無用の長物に見えたのでしょう。
うまく使えば、もっと信用が得られて、多くの資産をお預かりして楽な商売ができるのに使ってくれる社員は稀でした。
本社は本社で、何を決めるにも会議、会議の連続ですし、各部門の部長は、役員目前なのでリスクを冒したがりません。ブラックで大変だったけれど、社長や役員の即断即決で、新人の私にも一人数役の重要な仕事をまかせてくれたベンチャー企業とは大違いでした。
経営者目線で見れば、絶好調の時こそ、次なる構造変革に備えて、革新的なことを始めるべきなのに、特に日本の大企業では、むしろ保守的になってしまうというパラドックスに直面したのです。
同じストレスであっても、社内営業の不毛なストレスよりも、実際のお客様相手のストレスの方が有意義だと感じました。
お客様にいくら厳しいことを言われても、きちんと対応して改善すれば、商品を買ってくださるからです。
こう考えると、同じ修羅場でも、社長にもお客様にも直接接することができ、企画から販売まで多くのプロセスに関われた創業期ベンチャー時代の方が、多くのことを学べた気がします。
嫌なこと・苦手なことに挑戦させられる職場で成長を
とは言え、日興証券で働いていなければ学べなかったことも数多くあります。
ゲーム企画をしたことがあるならと、文系でプログラミングもできない私が、いきなりAIを活用した相続診断システムのプロジェクトマネージャーにさせられたのです。
これは当時の私にとっては、まさに嫌なこと苦手なことでありましたが、この経験こそが、後に家業の久米繊維のIT化やネット通販子会社設立に役立ったのです。
また、新営業手法に懐疑的な営業スタッフ向けの研修講師や、バブル崩壊後に怒っているお客様向けのセミナー講師なども、嫌なこと苦手なことでした。
今でこそ、どんなに多くの聴衆の前で話しても「あがる」ことなどありませんが、当時は緊張の連続でした。
しかし、ここで度胸とスキルが身に付いたことで、気が付けば、20年以上も大学の教員や、経営者向けセミナー講師を拝命するキャリアにつながったのです。
つまり、ものぐさなくせにプライドだけ高かった大学時代の私が、今の私に変身できたのは、修羅場で無理やり嫌なこと苦手なことをさせられたからなのです。
人生は、嫌なこと苦手なことを3年以上修練して、いくつ得意にできるか楽しむゲーム
心配せずとも、修羅場で必死に取り組み、うまく行かなくとも3日3カ月3年ガマンすれば、それなりにできるようになるものです。
さらに努力を重ねて、10年も続ければ上位2割に入ることさえ可能でしょう。
楽しくがんばって生きている人なら、40代さらには50代に、仕事が一番面白くなっているはずです。
そんな人生を花咲かせる時期に、20代30代に嫌なこと苦手なことを克服して、むしろ強みにできてよかったと思えるでしょう。
こうして、3年ごとに不得意を得意に変えていけば、来るべき人生百年時代の晩年に、10も20も得意技を使いこなせる人生を謳歌することも夢ではないのです。
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