みなさん、こんにちは。カウンセリング(対話による治療法)と心理療法(心理学に基づいた治療法)を掛け合わせた「問題解決型のカウンセリング」をおこなっている前田泰章です。
きょうは「アダルトチルドレン(AC)と自覚する3つのきっかけ」についてお話しします。
アダルトチルドレンだと自覚する3つのきっかけ
アダルトチルドレンという言葉を知った人がカウンセリングを求めて多く訪れますが、その人たちをタイプにわけると、3つにわけられることがわかりました。
1つ目のタイプは、私のブログや書籍など、ある一節のある言葉に惹かれて来る人。「親はいいんですよ、別に。私、親が大好きなんです。でもほら、先生のこのブログの一節、これって私のことじゃない」と言う人です。
この人が抱えている問題は、実は親との関係ではなく、恋人との関係でした。その人は専門家からの援助を求めていたのですが、自分がどういうところに行ったらいいのかわからなかったようです。
このようなときに、自分が援助を受けるきっかけとして「アダルトチルドレン」という言葉を使ったのでしょう。
2つ目のタイプは男性に多いのですが、自分に子どもが生まれることになった、もしくは生まれたのをきっかけにアダルトチルドレンの自覚を持って、カウンセリングに訪れる人です。
自分だけなら、そして妻と自分だけなら、いまのままでもいい。でも新しい生命が誕生し、自分が父として影響を与える存在になったとき、やはりあの親から受け継いだものを整理しなくては…と思うのです。子どもには幸福になってほしいと思うからでしょう。
「あの母からされたことを、子どもには絶対にしたくない。そして、知らず知らずに母と同じものが自分のなかに育っているかもしれない」。カウンセリングに訪れている28歳の男性はこのように語り、涙を流しました。
自分が親になることを自覚したとき、同時に親との問題が浮上し、アダルトチルドレンと自覚するのです。これは女性よりも、親になるのに覚悟を要する「男性」に多いタイプです。
そして3つ目が、長年親との関係で苦しんできた人です。こんなこと他人にわかってもらえそうにないものとして、ずっと心のなかに秘めてきたのです。
でも、のどに刺さった小骨のようにいつもチクチク痛んでいた親との関係が、このアダルトチルドレンという言葉によって、カウンセリングで整理できるということがわかったのです。
私が痛感しているのは、アダルトチルドレンという言葉がいくら批判されようとも、この言葉がなかったら救われなかった人が膨大にいることだけは事実だということ。
この事実をもってしても、私はアダルトチルドレンは肯定されるべき言葉であって、決して病気とか、若者批判の理由づけに使われる言葉であってはならないと思います。
アダルトチルドレンの人たちは、そのほとんどが社会的にはごくごく普通に日常生活を一生懸命に送っている人たちです。病気でもなく。家庭はそれなりにうまくいっています。
でもその人たちが感じている種の生きづらさというものは、「自分に合う服は11号なのに7号の服を着ているような人生」なのです。7号サイズの服を着て、窮屈で息苦しくてつらくて、「もっと別の洋服はないかしら」と思ったとき、このアダルトチルドレンという言葉によって、もう一度親との関係を整理し直すのです。
親を自分の物語の中にちゃんと組み込む。もしくは、組み込み過ぎていた親をそこから出していく、あるいは分離していく。そういう作業をすることで、自分は楽になるのではないかと思った人。そういう人たちが援助を求めて、私のカウンセリングにやって来るわけです。