自分が悪いという思い込みは、どこからきたのか?
ではなぜ、アダルトチルドレンの人たちは、自己評価が低いのでしょうか?私たちはたとえば、突然だれかが死んでしまったようなとき、必ず理由とその意味を考えます。
「なぜ死んだのだろう?」「なぜ死ななくてはならなかったのだろう?」と。それが愛している人であればあるほど、それを考えあぐね、最終的には「私が悪かったのではないか?」と思うのです。
これは、人間がその苦しみの意味や理由を、説明せずには生きられないから。説明できないと、私たちは本当に狂ってしまいます。「神」のような超越した存在がいなくなった現在、私たちはその意味を説明するのが困難なのです。そして、最終的説明として「自分が悪いから」と考えるのです。
小さいころから、突然何かわからない苦しみを与えられる。たとえば、親の感情のおもむくままに、自分が悪いわけでもないのに、説明もなしに殴られたり怒鳴られたり…ということを繰り返されると、「これは一体何だろう」と3歳なら3歳なりに子どもは一生懸命考えて、「自分が悪い」と整理します。そう考えるとすべて説明がつきます。
阪神淡路大震災の避難所で、「自分がおねしょをしたから、地震が起きたのかな」と語る3歳児がいました。小さな子どもが、自分の何がいけなかったんだろうと考えた末の理由が、おねしょだったのです。
地震でもこういうことが起きるのですから、小さいころは、特にアルコール依存症者のいる家庭のなかで子どもが過酷な体験をすると、子どもは、「自分が悪いからだ」という整理をどこかでしてしまうのです。
この「自分が悪いからだ」という思い込みが続くと、「私はこの世にいてはいけないのではないか」という感覚につながっていきます。これは、根深い自己否定感であり、ふっと沸き上がる自殺衝動にもつながります。自分という存在をこの世から消してしまいたくなるのです。
親は子どもをたたいてはいけないと思いますが、もしたたいてしまってもその後で、「お父さんがたたいたのは、こういうことだったんだよ」とか、「お母さんがあなたをたたいたのは、こうだったからよ。ごめんね」とフォローをすべきでしょう。
何のフォローもなく、まるでそれがなかったことのようにされてしまうと、子どもはその体験をどのように整理したらいいのかわかりません。
そして、子どものなかに起きてくるのが、「自分が悪いのだ」「私はこの世にいてはいけないのだ」「私がこの世にいるから、このような不幸が起きるのだ」という感覚なのです。
そして孤立無援の、絶対的に閉鎖された状況のなかで、意味不明の苦しみを与えられていると、人間は狂わずにいるためにそんななかでも愛情という一筋の幻想を必要とします。なんて悲しい、そして恐ろしいことでしょう。
子どもにとって家族というものは、絶対に逃げられないものです。そして、閉鎖的な状況であり、親は絶対です。
そのなかで、意味不明の苦しみを味わったときに、子どもは「お母さんやお父さんは、私を愛しているから、ああいうことをやるんだ」と思うようになります。
幼い子どもに虐待を繰り返す父親がいても、その子どもたちは「お父さんは私を愛しているから、こんな苦しいことをするんだ」と思うのです。
ですから、父親が捕まったときにも、子どもは決して父親のことを悪く言いません。それはかばっているのではなく、「父親は自分を愛している」と思っているのです。「愛しているから、父親は自分にそういうことをするんだ」という神話を持たなければ、その子は生きられないのです。
このようなことが、アダルトチルドレンの人たちが親からの支配を愛と思っていたり、なかなか親から離れられないことの背景にあるのではないでしょうか。人が意味不明の苦しみにさらされることが、いかに残酷なことかをわかっていただきたいと思います。