こんにちは、椎名トキです。僕は身体の性は女性ですが、心の性は定めていないセクシュアルマイノリティ(セクシャルマイノリティ)で、女性のパートナーとふたりで暮らしています。
実家、地元への帰省はお盆と正月の年2回ほどですが、新型コロナウイルスの流行以降は一度も帰省できていません。
多くのかたが帰省ができずに、寂しい思いをしていることでしょう。しかしなかには、帰省ができないことは悲しい、寂しいと思わないかたもいるはずです。
僕もいまでこそ寂しいと思えるようになりましたが、以前はそう思うことができず、苦しんでいるときがありました。きょうはそのころ思っていたことと、地元を愛せなくてもいいと考えるに至った話をしたいと思います。
- ※前提として、いまはカムアウトを受け止めてくれた人たちのおかげで、以前よりも帰省に対してネガティブな感情は抱いていません。今回書かせていただくのは、現在進行形のことではなくネガティブに感じてしまっていた当時にフォーカスしたものです。
理由1.同級生
高校卒業とともに親元を離れて、都内の大学へ進学。そのころから帰省は年に2回。たった2回でも、帰省することにネガティブな感情を抱いていました。
同じように帰省にいい感情を抱けない人は、少なからずいると思います。人それぞれ理由はあるかと思いますが、僕の理由はふたつ。その1つ目は、帰省の際に同級生に出くわしたくないということ。
地元で暮らした学生時代には、楽しかった思い出ももちろんあります。一方であまり思い出したくない出来事もありました。
一度、セクシュアルマイノリティ当事者であることが同級生の間で友好的ではなく広まってしまったのです。その当時を思い返すと、僕や僕が付き合っていた彼女に悪意や嫌悪を向けてきた同級生たちを、いまでも許す気にはなれません。
彼らの無理解で攻撃的な行為の問題の根底には、彼らがセクシュアルマイノリティについての知識や教育の環境がなかったことが大きいということは頭ではわかっています。しかし僕たちが受けた言葉や視線の暴力は肯定できません。教育を論じるのは未来の誰かの被害を減らすためであって、過去の傷を直接的に消すことではないのだから。
当時の僕がカムアウトをしたのは、この人ならば拒絶しないだろうと思うことができた数人の友人と、ひとりの当事者だけ。カムアウトを友好的に受け止めてくれた人は、片手でもおつりがくるくらいでした。
地元を離れて暮らすようになって、少しずつカムアウトを繰り返し、自らをオープンにできる場所を徐々に増やしていきました。自分をオープンにできる場所ができて嬉しかったからこそ、帰省して同級生を見つけたり見つけられたりして嫌なことを思い出したくなかった。なので帰省の際は、万が一にでも同級生に会いませんようにと祈っていました。
「地元が好きか」と問われると、いまでも学生時代のことがよぎります。だから、地元を心から好きだと言えない。そして地元を愛せないことに対して、地元を離れてからずっと罪悪感を抱いていました。
理由2.罪悪感
帰省に後ろ向きになっていたもうひとつの理由。両親や親族に自分のセクシャリティをカムアウトできておらず、僕を異性愛者だと思っている周囲に対して、完全な異性愛者ではないことに申し訳なさを感じていたことです。
とびきり仲のいい家族や親族関係であったわけではありませんし、すれ違ってしまい家族仲がうまくいかない時期もありました。それを差し引いても、僕は大切に育ててもらったと感じていてそのことに感謝しています。
いまでは両親と一部の親族にはカムアウトをして、僕と彼女のことも理解してくれている。そんな両親や親族が暮らす地元を愛せないということが、なんだか薄情な気がしてしまうのです。
「地元が好きではない」と言うと、大切な人たちのことも好きではないかのように受け取られるのではないか。大学を卒業すると、次第に高校卒業以降にカムアウトをした友人もひとりまたひとりと地元に戻っていき、後ろめたさはさらに募りました。帰省をするとその罪悪感を少なからず感じてしまうのです。