家庭裁判所に申し立てることで誰でも利用できるのが離婚調停(夫婦関係調整調停)ですが、申し立てを行ったからといって絶対に離婚が叶うというわけではなく、配偶者がどうしても離婚に同意しない場合は「不成立」となります。
不成立の結果は調停を申し立てる前と変わらない状態、離婚したいのに配偶者との婚姻関係は続くのでとてもつらいもの。
「不成立になると調停はもう諦めないといけないの?」という声をよく耳にしますが、調停自体は再度の申し立てが可能です。
そして、不成立を受けてからの選択肢には「離婚訴訟」があります。調停が不成立になった人は次にどんな選択をするのか、実際のケースをご紹介します。
夫のモラハラに耐える日々
「夫のモラハラとDVに耐えきれず、離婚を考えていました。結婚してから外出を制限されるようになり、フルタイムで働きたくても『女は家事をするものだ』と数時間のパート勤務とすべての家事を押し付けられ、そんななかで夜の営みも強制され、本当につらかったです。
子どもができたら少しは優しくなるかもと思っていたけれど逆で、生活費は渡さないし育児もまったくやらないし、ワンオペで精神的におかしくなりそうでした。
友人とは疎遠になりママ友もおらず、当時は苦しい気持ちをノートに吐き出すしか気持ちを収めるすべはなくて、逃げ出したいけれど絶対に無理だろうなという諦めが強かったです。
それが変わったのが、お金での苦労でした。私のパートの収入だけでは当然やっていけないのですが、夫に言えば『何に使っているのだ』と拳が飛んでくるだけで、夫の食事は用意しないといけないけれど私自身は食べることを制限するしかなく。娘のミルク代だけは何も言われないのが救いでしたね…。
あるとき、夫から次の生活費をもらう前にお財布が空っぽになってしまい、消費者金融での借金しかないと思いました。でも、頭に浮かんだのは両親の顔で、恥を覚悟でお願いしようと決めたことが、私と娘の人生を大きく変えました」
「裁判はできない」と知って
「夫からは両親には『こう伝えるように』と夫婦円満であるということにされていて、外出が制限されているので実際に会いに行くのも難しかったのですが、そのときはもう生きるか死ぬかの瀬戸際まで精神が追い詰められていたと思います。
夫に言えば絶対に行かせてもらえないと思い、黙ったままその日は家を出ました。
娘を抱いて突然訪ねてきた私の姿を見て両親は絶句、後で聞いたら『ボサボサの髪に死人のような真っ青な顔をして、痩せこけた体で赤ちゃんを抱っこしていた』そうです。
これまでの結婚生活を聞いて『幸せなものと思っていたのに』と落胆し、次に父が『許せない』と言ってくれて、初めて大泣きしましたね。
両親にはこのまま実家にいるように言われ、父が夫に電話、『娘から事実を聞いた。離婚する』と言ったら慌てたように『誤解だ』『妻は育児ノイローゼになっている』と夫は弁解を始めたそうです。
そのうえで『妻の身勝手で離婚は絶対にしない』と父に言ったようで、とにかく私を家に帰すよう迫るのを見て、両親は改めて『あの人の狂気がわかった』と言っていました。
私は着の身着のままで家を出ていたので、次の日に両親が揃って自宅に向かってくれて、娘のミルクや服、私の服などを取ってきてくれました。
このとき、結婚生活への苦しさを吐き出したノートも持ってきてもらうよう親に伝えていて、夫の目に触れる前に回収できたのは本当によかったと思います。
夫が知れば不法侵入と言われる危険性があったけれど、そんなことを言っている場合ではありませんでした。
それから両親と『裁判を起こすしかない』という話になり、弁護士に相談に行きました。
すると、話を聞いた弁護士は、『いきなり訴訟を起こすことはできません。その前に調停を申し立ててください』と返してきて、法律では『調停前置主義』と言って先に調停で夫婦間の問題を解決するとなっていること、裁判は調停が不成立になった後の選択肢であることなどを聞きました。
裁判になれば夫の不誠実さを日の目に晒せる、離婚が叶うと思っていた私は、その前に調停という段階があるとわかって、大きなショックを受けました」