ダメな自分を認める
先ほどの事例でいくと「私がダメな親だと思われたらどうしよう」という思考。この思考のために、私は必死になって頑張っていたわけですが、必死になってもどうにもならなかったのだから、「私はいい親にはなれないのだな」と諦めました。
つまりは、自分はダメな親であることを認めた。そしたら心がグーンと軽くなりまして。どうなったのかというと、相変わらず、娘の就寝時刻は定まりません。朝も未だ私が起こすことが多いです。それでも私の心は、以前とは比べものにならないほど穏やかになりました。娘が眠らないことでイライラすることは本当になくなりました。
子育てって、つい問題に目を向けて、そこを改善しようと躍起になってしまいがち。子どもが食事のときにポロポロとこぼすようなら、こぼさないようにするにはどうするかとか、片付けが苦手な子にどうやって整理整頓を教えるかとか。
挨拶ができない子に、挨拶がスムーズにできるようにするには…とか。でも、その問題を改善しようと躍起になればなるほど、なかなか子どもは思うように動いてくれない。だから、親のストレスは増える一方なのです。
子どもだけの問題ではない
娘の言動に腹が立つことがあっても、「これは娘の問題ではなく、私の中の問題」ということが腹に落ちたら、もう娘に八つ当たりはしなくなりました。
たとえば、私が大切にしていたコーヒーカップを娘が割ったとします。私が「絶対に使わないでね!」と再三念を押していたにも関わらず、こっそり使ってしまって。こんなことだったとしても、やっぱりこれは娘だけの問題ではないのです。
コーヒーカップが割れて私の感情が揺れ動いたということは、私のなかになにかしらこの事象を引き起こす何かが隠れているということ。これは娘との共同創造によって起きている出来事なのです。
そう思って起きた事柄を観察してみると「コーヒーカップの置き場所に問題があった」「いつかは割れてしまうものなのに執着が強かった」「大事にしていたようでいて、扱いが雑だった」などに気がつける。
何より大切なのは、ママが「いい気分」でいること。だからママが躍起になっていては、問題はいつまでたっても問題のままなのです。それよりも、その問題はいったん脇に置いておいて、ママは自分がいい気分になることを実践する。
コーヒーを飲んでホッとしたり、好きな音楽を聞いてリラックスしたり、アロマのお風呂に入ったり、美味しいものを食べに行ったり、お昼寝したり、本を読んだり、映画を見たり…。その「いい気分」が新たなエネルギーの流れを作り、思わぬ展開につながっていくものなのですよね。
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