「孤独への不安」を感じることって、ありますよね。人間だからこそ感じちゃう不安や恐怖、心配…。
今回は、「見えない不安ばかり感じてしまう…」というメルマガ読者の方からのお悩みにお答えします。
読者からの質問
悩みは「孤独への不安」です。いまは孤独ではないのに、不安なのです。
仕事先でいつも仲良くしている人と仲が悪くなり、口をきかずに仕事をしている苦痛や、子どもたちが成人し、家を出る話も出ているので、その寂しさもあるのかもしれません。
もう治療は終わりましたが、夫にガンや大怪我などが続いたので、いずれ家でひとり寝なければならなく日が来るかもしれないという不安が常に付きまといます。
近所の方のお葬式があったら、自分の葬式には誰もこないんじゃないかと思ってしまったり、その前に入院しても誰もお見舞いに来てくれないんじゃないかと思ってしまったり…。
すべて想像上の不安であることはわかっているのですが、「現実的にもその可能性がゼロではないことは確かだよね…」とまた心配になり、楽しいことをしていても「これにも終わりが来るよね」と楽しめません。「コロナ禍で外出自粛をしていた期間中、わたしに声をかけてくれる友達はいたかな?」と孤独に結びつける考えが抜けません。
不安の波が次々とやってきてしまうのです。
「自分」と「思考」は切り離せる
実は、これらの思考は、延々と出てきては流れていく人間意識(エゴ)のお喋りです。
とめどなくわいてくる「思考」。その内容が「不安」や「恐怖」なら、当然ながら「不快な感情」にのまれ、その内容が「幸せ」や「喜び」なら、「心地いい感情」に包まれます。
このときにはわいてくる「思考」は、自分そのものではないのです。思考を思考として、こんな風に客観的に見ている時点で、それは自分そのものではないのですよ。だからこそ「切り離せる」のです!
「ひとりになるかもしれない孤独」について「考え」ちゃえば、当然考えている間は、それをリアルに体験しているのと同じ感情になります。考えるだけで、リアルな不安を感じてしまうのです。
それって、ドラマの主人公に感情移入するのと同じようなものです。主人公が不幸なら、その苦しみを自分の事のように感じますよね?だけど、我に返れば、それは消えます。主人公になりきっている間だけ、その感情を味わってしまうのです。
私たちが「思考」にのまれる仕組みも、それと同じことです。