アドラー理論の「劣等感」
劣等感について、もう少し詳しくお話ししますね。アドラー心理学では劣等感についてよく語られています。アドラーの理論では、劣等感が支柱の1つになっているといっても過言ではありません。
アドラーは、「人間であるとは劣等感を持つことである」と述べるほどで、そのためアドラーの心理学を「劣等感の心理学」とよぶことさえあります。
アドラーのいう劣等感について理解するには、まず「劣等性」と「劣等感」の違いについて理解しておく必要があります。
「劣等性」とは、背が低い・視力が悪いなど人が持つ器官や特徴、行動を具体的にほかの人と比較した場合に劣っているとする判断です。もっともこれは、主観的であれ客観的であれ、単なる判断のひとつに過ぎません。
しかし、この劣等性に対して「負い目や恥」を感じると、これが劣等感になります。たとえば、自分より背の高い人がいたとします。「私より背の高い人がいる」と、自分と相手を比較して単に判断するのが「劣等性」です。
これに対して、相手と比較して「背の低い自分が恥ずかしい」「なぜ自分はこんなにも背が低いのか?」という「負い目や恥」を感じるのが「劣等感」になりますが、劣っていると思わなければ劣等感にはなりません。
特に女性は、周囲から比べられることが多い容姿に関することで劣等感を覚えるかたが、多いのではないでしょうか。男性では、年収や社会的な地位、能力的なことなどに劣等感を覚えるかたが多いようです。
アドラーは、程度の差こそあれ、すべての人は共通して「劣等感」を持つものであり、私たちは劣等感を取り除くために自分を改善するのだ、と考えました。いわば人は、劣等感を感じることで、「マイナスに感じる」境遇から「プラスに感じる」境遇へと自分を変えようとし始めるわけです。
以上が、ユングが提唱する「コンプレックス」とアドラーがいう「劣等感」。「コンプレックス」=「劣等感」ではない。「コンプレックス」はかなり複雑で、感情がからんでいるものということが、何となくおわかりいただければOKです。