何をもって「報われる」のか?
さて、話を戻します。努力は報われるのか、それとも、努力しても報われないのか?この意識調査は、あくまでも各人の意識を調べているのであって、どちらが真実なのか、どちらが正しいのか、を決定しようとしているわけではありません。
どちらが真実なのか?…といえば、「努力は報われるときもあれば、報われないときもある」「努力が報われる人もいれば、報われない人もいる」というのが真実でしょう。
努力が必ず報われるのであれば、誰もが勝者になります。努力したのに負けた、という人がいるのはおかしくなります。もちろん、そんなことは現実にはあり得ません。必ず一方が勝者になり、もう一方が敗者になるのです。
ここで考えたいことがあります。敗者は努力が報われなかった、といえるのでしょうか?たとえば、勝利をめざして血のにじむような努力をした。しかし、負けてしまった。この人の努力はまったく報われなかったのでしょうか?
「報われる=勝利」と考えてしまうと、確かに報われなかったことになってしまいます。でも私は、「勝利しなければ報われたとはいえない」という考え方はちょっとおかしいと思います。
たとえば、その努力を見ていた人から、うちの会社に来てくれないかといわれて、条件のいい就職ができるかもしれません。その努力を恋人が見ていて、惚れ直してくれるかもしれません。「報われる=勝利」と限定的に考えてしまうのは、あまりにも早計だといえるのではないか、と思うのです。
努力しない人が陥る思考パターン
大事なのは、「努力すること」です。勝利することではなく、勝利はご褒美みたいなものと考えることはできないでしょうか?「努力すること」は、「一生懸命生きること」といい換えてもいいと思います。
ただし、「一生懸命生きる」というのは、ただ闇雲にがんばるというだけでは足りなくて、「創意工夫する」という要素も大切になります。
勝つためには、どういう準備やトレーニングが必要かを考えて、それをやらないといけませんよね。野球の試合で勝つために、ひたすら走り込みをするだけではだめで、守備練習や打撃練習も必要なのは当然のことです。
ですから、「努力したのに報われない」と思う人にとっては、
- どんな結果を得ようとしているのか?(得たいのか?)
- その結果を得るために最善最適なこと(やるべきこと)は何か?
を見直すことも必要ではないかと思います。たとえば、「努力してもちっとも給料が上がらない」という人であれば、給料を上げるためにやるべきことは何かを考えたうえで、その努力をする。そうしなければ、給料が上がるはずがありません。
考えてみれば当たり前のことなのですが、「努力しても報われない」と思い込んでいる人は、この当たり前のことに目が向いていないのではないか、という気がします。「努力しても報われない。だから、努力してもムダ」という思考パターンに陥っているのです。