多種多様な「性」のあり方
「マイノリティ」という言葉は、たしかに少数派という意味を持ち、シスジェンダー(生まれたときの性別と性自認が一致する人)やヘテロセクシュアル(異性愛者)のマジョリティと比較すると数は少ないかもしれません。
マイノリティは「いない存在」として認識されやすいですが、LGBTQ当事者は左利きと同じ割合でいるといわれているように、当たり前に存在します。マイノリティの可視化につとめるためには、個々の認識から変えていく必要があると思います。
私自身、LGBTQ当事者であるにもかかわらず、セクシュアルマイノリティのかたに違和感を与えるような言葉を発してしまったことがあります。
過去にノーメイク、ショートヘア、パンツスタイルのレズビアンを自認する女性に出会ったときのことです。
当時、クィアという概念を知らず、「男/女」で考えていたことから、二丁目界隈でボーイッシュな女性を指す言葉、いわゆる「ボイ」に当てはまる人のことを「男性になりたい女性」と認識していました。
私はその出会った女性を「◯◯くん」とよんでしまい、彼女は「わたし女性なんだけど」ととても困った様子を見せていました。
指摘してくれたことがきっかけで、世間の期待するような女性性を持たない女性もいるのだと知ることができました。いかに世間の「男らしさ」や「女らしさ」に洗脳されていたのか、思い知らされた出来事です。
そして第三者が人の性のありかたを判断することは、相手を傷つける可能性も十分にあるということを身をもって感じました。
認識の変化、SOGIの概念
新しい視点を得るために、本を読んだり映画を観たりすることも実践できますが、実際に経験したり、日常で気づくことも考えられると思います。
たとえば、外に出れば、筋肉質な体型やスレンダーな体型、丸みのある体型など、いろいろな体型のひとが歩いています。同じように、セクシュアリティやジェンダーに関してもさまざまです。
体型やセクシュアリティなど、いろいろな側面で「〜であるべき」と個々のアイデンティティが無視されがちなように感じます。しかし、すべてが同じになることはなく、この「あるべき姿」というのは無意味なものでもあります。
個性を潰すのではなく、一人一人のありかたをポジティブに捉えることが増えたらいい。そういった考えかたは「SOGI」の概念に似ています。
「LGBTQ」は、 レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・クィアとすでにカテゴライズされているのに対し、“Sexual Orientation and Gender Identity(性的指向/性自認)”の頭文字をとった「SOGI」は、「どんな性別に性的、恋愛感情が向くのか」「どんな性を自認しているのか」と、性のあり方を自分自身で決定、表現できる言葉です。
またこの言葉は、ヘテロセクシュアルやシスジェンダーを含めたマジョリティに対しても使える言葉なので、LGBTQ当事者だけについての話題だと思われがちな「性のありかた」について、マジョリティとマイノリティが同線上で考えられるというニュアンスがあります。
SOGIからは「カテゴライズされていなくてもいいのだ」といったメッセージを読み取ることもでき、SOGIの概念が広まることを望んでいます。