どっちも中途半端?
また、やってしまった。真依子は、電車に乗りながら反省する。最近「凡ミス」が増えている気がする。どうしても働ける時間が限られているぶん、仕事にコミットできる労力は限られる。自分としては、効率的にやるべきことを片付けているつもりではいるのだが。
1歳の凛を保育園に預けて復帰してから、真依子は9時から16時30分までの時短勤務を続けてきた。本来であれば子どもが3歳になると時短勤務の対象からは外れるのだが、フルタイムに戻して続けていける自信が持てず、会社と相談して、いまのところは時短勤務を継続させてもらっている。
真依子の会社は女性社員の割合が半数近く、子育て中の人も一定数いる。勤務時間や休暇などの制度も整っていて、比較的恵まれているほうだとは思う。
しかし実際に自分が仕事と子育てを両立するようになってみると「会社の制度が整っている」から「大変ではない」わけでは決してないのだ、とは実感するようになった。どうしたって、自分にとってのキャパシティというものはある。
それに、もちろん仕事には責任を持って取り組んでいるけれど、子どもが産まれた以上、人生の最優先事項が「自分の子ども」「子育て」になってしまったことは、ほかの母親同様、揺るがない事実だ。
もちろん男性も多少は変わるのだろうけれど、やっぱり実際に子どもを宿し産んだという時点で、人生観が大きく変わったことは否定できない。だが、客観的に見れば子育てと両立しやすい環境にいさせてもらっているわけで、少なくとも社内では愚痴も言いづらい。
42歳という年齢のせいもあるのかもしれないが、子育てと仕事の疲れで、週末は、正直外に出るのすら面倒だと感じることもある。土日のどちらかは冴島も休みで、凛を公園に連れ出したりしてくれるので、そのあいだは自宅でひとり横になり、休むことも多い。
保育園のセキュリティは厳重だ。保育園の入り口でカードをかざし、インターフォンに応答した職員に話しかける。
「こんばんは、冴島凛の母です」
鍵が開いて園内に入り、凛がいるぶどう組クラスへ行くと、凛が教室の隅に人形をいくつか並べて遊んでいる姿が目に入った。
「凛ちゃん、ただいま」
「ママ、おそーい」
凛は人形から顔をあげ、眉をひそめて言う。いつもと同じ時間なんだけどな、と、真依子は内心苦笑する。ちなみに冴島が迎えに行く日も「パパ、おそーい」と毎回言われるらしい。
凛は保育園そのものというより、ほかの子どもが複数いる空間があまり好きではないようだ。優しい子だがどちらかというとおとなしく、積極的に友だちの輪に入るタイプではなく、いずれにしても真依子にはあまり似ていない。
担任の先生にあいさつをして、園を出る。真依子は、園で習ったのであろう歌を小声で口ずさむ凛を自転車の後ろに載せて漕ぎながら、今夜の夕食に思いをめぐらせる。
凛は好き嫌いが多くて、口すらつけない食べ物もたくさんある。親としてなるべく栄養バランスには心を砕いていたが、最近ではつくる前から「どうせ食べないんだろうな」と思うと、どんどんつくる気がなくなっていく自分がいる。
疲れた身体で料理をして、それから凛にがんばって食べさせようとして互いに疲弊し不機嫌になる食卓の様子が頭に浮かぶと、つい「面倒」という気持ちが先に立ってしまう。
もう、きょうはいいか。
「凛ちゃん、きょうはパーティーにしようか?」
「パーティー?やったー!」
後ろから、凛のはずんだ声が飛んでくる。「パーティー」といっても、単にスーパーで好きな惣菜をいくつか買って、ダイニングテーブルにそのまま広げて食べるというだけのことだ。凛が選ぶのはきっと唐揚げとおにぎり、ポテトあたりだろう。
仕事のうえでの責任と、親としての責任。ふたつの責任をまっとうするには、仕事に関しては「割り切り」が、子育てと家事に関しては「適当さ」が大事だと、つくづく思う。
だって「どちらかひとつだけ」をやることはできない。とくに「仕事だけに邁進する」という選択は、少なくともこの子が自立するときまでは、来ないのだ。
帰宅して凛と出来合いの食卓を囲み、床に広がったおもちゃと積み重なった衣類で雑然としたリビングを眺めながら、真依子は思った。