夫婦の決断
きょうは、真依子と冴島の7度目の結婚記念日だ。凛が産まれる前は、結婚記念日はふたりで食事をするのが通例になっていた。凛ができてからは行くことができていなかったが、今年は凛を真依子の実家に預け、ひさしぶりにふたりで話す機会ができた。
待ち合わせたイタリアンレストランのカウンター席に並んで座り、白身魚のカルパッチョにパテ・ド・カンパーニュ、牛肉のワイン煮込み、バゲットが添えられたシーフードのアヒージョと、互いに頼みたいものをひとしきり頼み、たくさん飲んで食べた。
気取らないながら手の込んだ料理やお酒を前にいつもと違う空間にいると、不思議と、気分も上向きになってくる。
酒が弱い冴島もサングリアを飲み、少し顔を赤らめている。出会ってからこれまでのこと、凛が産まれてからのことをふたりで振り返っているとき、真依子はいまだ、と思った。
「…ふたり目のことって、どう思ってる?」
「え、ふたり目?」
冴島は、飲もうとして持ち上げたグラスを、ふたたびカウンターに置いた。
「そう。どう思う?」
「どうって…真依子さん、いま42歳でしょ?」
「そうだけど。だったら、なんなの」
真依子は少しムッとしながら、返事をする。
「その…大丈夫なの? 身体とか」
「大丈夫ではないけど」
そう、大丈夫なことなんてひとつもない。これからふたり目を妊娠できるかどうかも、治療をするにしても時間やお金もかかるし、何よりしんどい。当然、妊娠も出産も、産まれてからも大変だし、ふたりの子どもを育てながら仕事を続けていくことも、どれひとつ、うまくできる自信はない。
でもその都度、直面したことをただただ、やっていくしかないだけなのだ。
そして、なんだかんだやっていくことができるのはやっぱり、子どもという存在が、そういった葛藤や苦労をすべて凌駕するほどに、力を与えてくれるものだからだとも思う。
「冴島さんは、子どもはひとりでいい、って思ってる?」
「うーん…まずは、真依子さんの身体が心配なんだよね。前回も本当につらそうだったし。産まない立場で、気楽に『もうひとりほしい』なんて言えないっていうかさ。簡単なことでもないこともわかってるし」
「そっか」
「それにトータルで考えたらさ、子どもとか家のことって、絶対に女の人のほうに負担がかかるでしょ。凛ちゃんも3歳になって少しだけ落ち着いてきたから、もしふたり目ができたとして、また真依子さんに大変な思いをさせてしまうのが、心苦しいんだよね」
「そういうのを全部抜きにしたら、どう?」
「…できるなら、凛ちゃんにきょうだいがいてもいいかな、とは思う。あとは、もうひとりだったらなんとか育てられるかもな、っていう気もする。真依子さんは?」
「私は、もし叶うならもうひとり、自分の子に会ってみたい。最近、産めるかもしれないラストチャンスが迫っているのをひしひし感じるんだ。仕事はもう正直中途半端だけど、でもそれは、やっぱりやれる範囲でしかできないし。産めるならもう絶対産みたい、が本音」
「わかった。じゃあ、その方向で考えてみようか」
冴島は、決意したようにうなずいた。
思い切って自分の考えを言ってみたことで、真依子はなんだかさっぱりした。
真依子の実家へ凛を迎えに行く道中、川沿いを、冴島とふたりで歩く。いつもは間に凛がいるから、並んで歩くこと自体が久しぶりだ。
「きょうさ、久しぶりにあんなにふたりきりで話したよね」真依子はつぶやく。
「確かに。凛ちゃんがいると、ゆっくり夫婦で話す時間もないもんね」
「その日一日を無事終えるのに、精一杯だもんね」
「そうそう」
「凛ちゃん、大丈夫かな」
「着いたらさ、ママとパパ、おそーい!って言われるんじゃない?」
真依子と冴島は、顔を見合わせて笑う。雲間から、隠れていた月が少しだけ顔を出した。
真依子がほかの人生を歩んでいたら…
afterwards.1 母になった真依子「Chaotic days」
afterwards.2 母にならなかった真依子「コーヒー&チキンライス」
Choice.1 結婚を選択「ピーマンと夜とわたし」
Choice.2 転職を選択「銀のボールペン」
Choice.3 結婚でも転職でもない道を選択「pleasant life」
- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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